マリアの御心国立聖堂 中米では唯一メトロの 走る通り パナマシティー 4/1/2019
歩道橋の螺旋階段の踊り場が仕事場のギター弾き 朝8時から営業 馴染みの通行客も多く声をかけて通って行く ゴッドファーザーのテーマ ある愛の詩 禁じられた遊び ・・・懐かしのスクリーンミュージックをメドレーでやってくれた お元気で パナマシティー パナマ
日本の協力・技術指導で新しく立替られ運営されている魚市場 因みにパナマとはクナ族の言葉で「魚の多い海」の意味 4/1/2019
魚市場に直結する漁港 今は干潮
フラメンコ島のハーバー ソッドフィッシュのフレーム
ここからバスでガンボア港ヘ
フラメンコ島とペリカン島はパナマ運河工事から出た土砂で堤防を造り本土と結ばれた
パナマ運河クルーズ船 ディスカバリー号に乗船 ガンボア港 チャグレス川とガトゥン湖の合流点
パナマ運河は全長約80km 最小幅91m 最大幅 200m 最浅部12.5m パナマ 4/1/2019
参考までに パナマ運河は 太平洋側の平均水位が カリブ海側の平均水位より24センチ高い
いよいよ クレブラカット (ガトゥン湖から太平洋に入っていく水路) を南に進みます
前の船 : 船名 コスコ ヴァレンシア コンテナ貨物船 香港船籍 総トン数 40465 t 載貨重量 49985 t
2013 年建造 length overall × breadth extreme 261.1m × 32.25m IMO 9484390
1914年完成のパナマ運河の既存閘門が 304.8×33.5m ですから まさにパナマックスです
因みに通行料ですが ニューパナマックス船(Majar )がコンテナを満載すると全行程で1億円以上になるらしい豪華クルーズ船クウィーンエリザベスは 30万ドル以上 高いと思うならどうぞホーン岬をお回りください・・・・ しかしいつかニカラグアと中国の運河プロジェクトが復活するかもしれません
センテナリオ橋 2003年 パナマ独立100周年を記念して建設される パンアメリカン・ハイウェイもこの橋を通る 2006年 ドイツの援助で完成 クレブラカット は水深が浅く(18.6m) 最浅部12.5m この区間は1方通行 12:00~24:00の時間帯はカリブ海~太平洋方向 左では浚渫船が作業中
ペドロミゲルの閘門(1閘室) 1914年完成の既存運河 この閘門でガトゥン湖とミラフローレス湖の水位差10mを上下することになる 4/1/2019
ガトゥン湖と同じ水位にされた閘門に入る
閘門が閉じられ 中の水を抜き始める
中の水位が下がり トランサムが見えなくなる
ミラフローレス湖側の閘門が開き船が出ていく
船はペトロミゲル閘門を抜けてミラフローレス湖へ
閘門が締まり再び水が入り水位が上がる
後ろをみると別の船が続いている 両側の電動牽引車は川崎重工業や三菱重工の日本技術が使われている 皮肉なことですが 太平洋戦争時 大日本帝国は 2度このパナマ運河の攻撃を計画検討した事を忘れてはなりません
スターンのデッキからの展望
牽引車の作業員
手前は運河クルーズ船 その向こうは新レーンを行く大型船
小型船は他の船に横づけされる ジブステイが2本あるが もちろん運河内は帆走禁止
後方の旗は 国際信号旗で 5人以上の意味
後ろのパナマックスの隙間は約50~60㎝
船側を擦らずに通すのも技術でしょうか
今度はこちらの船が閘門に入り 水が下がり始める 重量感のある扉が見え始める
水位が下がり切ったところでミラーフローレス湖側の閘門が開く
次はミラフローレス閘門 2つの連続した閘門(2閘室)で各8mの計16mの水位差を上下する
左には展望台の大きな建物 たくさんの見物客が見守る
閘門内の水位が下がり 展望台がより上になって クルーズ船が谷底に落ち込んだようだ
閘門内の水位が8m下がりきると→
扉が開き 次の閘門に向かって入っていく
ここは軍艦鳥にとっては絶好の餌場になる 水門が開くと中の真水で生息する魚が 太平洋の塩水の中にに押し出され 苦しくなって浮いてくる これを眈々と ねらっているのだ
軍艦鳥は全長が1m前後もある大型の水鳥で 飛翔力に優れるが 水に潜ることも、泳ぐことも、歩くこともできないが 空中戦が得意で 他の鳥から奪い取ったり 魚介類を捕食して生きている
これから最後の閘門内の水位がさらに8mさがる→
最後の閘門が開く これでガトゥン湖の水位からみると -10m-8m-8mで合計26mの降下
ようやく太平洋側に出た 数十キロだが閘門を何度も出入りしたので随分長旅をした気がする 最後の門が開いたときの解放感は なんとも言えない 前のクルーザーの人はカリブ海からだから もっと感激しただろう バルボア港 パナマ 4/1/2019
下が南(太平洋)側 左が拡張後の運河(55m) 右が既存閘門(33.5m) ミラフローレス閘門
アメリカ橋 パナマ運河で分断された南北アメリカ大陸を結ぶ橋 手前はバルボア港 1962年完成
フラメンコ港に着いてパナマ運河クルーズは終了 4/1/2019
中米一の国際都市 パナマシティーのスカイスクレーパー
旧市街にあるエレーラ広場 1819年スペインから大コロンビアとして独立 1903年コロンビアから独立 2000年1月1日 パナマ運河の主権をアメリカから獲得し 実質的に独立を達成
パナマ独立の父 エレーラ将軍像
大聖堂 1688年着工1794年完成
【歴史】パナマの起源は1513年 スペイン人バルボアがサンミゲル湾で太平洋を発見 太平洋岸で最初の植民地を建設 1532年ピサロらが遠征してインカ帝国を制圧 その後もペルーへの拠点として発展した パナマからカリブ海側のポルトベロとの間に「王の道」と呼ばれる輸送路が整備された パナマは1671年イギリス人海賊モーガンに火を放たれ町は壊滅 その後大震災などもあり パナマ建国までの300年もの間放置された ここは「パナマ・ビエホとパナマ歴史地区」
サンホセ教会 (カトリック)
1550年献納の黄金の祭壇があり 当時の繁栄がうかがわれる カスコ(要塞)・ビエホ(旧)にある
ラ・カンパーニャ・デヘスース 修道院跡 19C焼失
元は16C~17C創建のイエズス会修道院
建物内には3つの礼拝堂があり 中庭が囲われていた
サントドミンゴ教会
レセップスは仏の外交官でスエズ運河建設の功労者 1881年パナマ運河にも着手するが失敗に終わる 中央胸像
「左」
レセップスはサントドミンゴ教会のアーチが無傷なのを見てパナマに地震がないことを確信して工事着工を決断したと言われる
カスコ・ビエホの裏通り
フランス広場
パナマシティー 摩天楼の夜景 カスコ・ビエホより 4/1/2019 明日はパナマシティーから車で約1時間のコロンにあるビジターセンターよりアグアクララ閘門の見学
手前 カリブ海側 アグアクララ閘門 ( パネル写真上が ガトゥン湖側 ) ここには3閘室あり一気に水位が26m上昇する これと並行して既存のガトゥン湖閘門(3閘室)もある
(左) ガトゥン湖側から (右)カリブ海に コンテナ船が通過中 2016年に開通した新パナマ運河のアグアクララ閘門 ガトゥン湖はカリブ海に流れるチャグレス川をせき止めてできた人口湖 カリブ海 側から太平洋側に抜けるには待ち時間を入れると約24時間かかる
前回と同じ船会社のCOSCOだが 船名NINGBO タイプは Cargo-Hazard A (Major) で前回ミラーフローレス閘門で見たCOSCOヴァレンシアの倍以上 総トン数 109149 t 船籍 マルタ 建造 2006年 length overall× breadth extreme 350.56m×42.8m draught 10.9m このクラスの貨物船は1日5回程度の通過 だそうで 出会って幸運でした
3連式閘門の1つのプールの大きさは427m
×56.7m×20mで 降下時の排水(真水)の60%のは横の貯水プールに送られリサイクルされる
スライド式扉は60m×33m×8m の鉄製 イタリアのトリエステでつくられ大西洋を3か月かけて送られた
スライド式のガトゥン湖側の水門が締まり 水が抜かれ始める
スターボーのパナマの国旗
船橋からタグボートと交信中?
アグアクララ閘門 パナマ
斜張橋の向こうはもうカリブ海 アグアクララ コロン パナマ
アグアクララ展望台 ビジターセンター コロン パナマ 5/1/2019
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