レーのクショ・バラク・リンポチェ空港は ヒマラヤ山中を流れるインダス川上流の狭い平野部の軍の基地内に造られている ラダックには「峠を越えて」という意味があり この呼称は17C頃から使われ それまでは「低地の国」という意味のマルユルという名で呼ばれる インド 30/4/2017
空港の端には スピトク僧院 が見えている
「国境」を感じる兵士たちのの移動
インダス川とザンスカール川の合流点 インダス川は左(東)から ザンスカール川は中央奥(南西)から流れてくる ザンスカール川のラフティングもここが終点になるようです 手前はカラコルム山脈系 向こう側はヒマラヤ山脈系 ラダック 30/4/2017
休憩で立ち寄ったニンモ Nimmu の村
よく似ているようですが兄弟でしょうか
インダス川沿いの道でバスを待つ家族 30/4/2017
サムドゥプリン ホテル アルチ ラダック 30/4/2017
ラダックの主な 樹木 ウィロウ・アプリコット・ポプラ
ラダックの伝統的な山高帽「ティビ」を着る村の女性
仏間のある3F バルコニーからの眺め
ホテルの主人の朝のプージャ(お祈り)を見学
男の子の一番人気の遊びは クリケット アルチ 30/4/2017
タルチョが飾られる アルチ僧院 入口 アルチ僧院 は5つの独立した寺院でできている
チベット仏教圏でタルチョは使われ 青は「空・天」赤は「火」緑は「水」黄は「地」を意味して 全体で 世界をつくる「五大元素」をあらわす それぞれの旗にはお経や 馬(ルンタ)の絵が入ったりしている タルチョには幸せへのみんなの願いが込められ 風や馬の背に乗って「ブッダの教え」とともに遠くまで届くようにと 風道に架けられる アルチ 30/4/2017
リンチェン・サンポの木 リンチェン・サンポがこの地に来てお堂を建てる場所を探していた時 ここに「杖」を刺したところ 杖が根づいたことから ここにお堂を建てたと言われ
この木がそのときの木だと言われる
【歴史】8C領土を拡大した吐番はラダックも占領しこの地はチベット系民族と同化 中央チベットの政変に敗れたキデ・マニゴン王が 10C西チベットにラダック王国を築く 3人の息子がいて長男 にラダックを次男にグゲを三男にザンスカール・スティピを統治させた
アルチ僧院はグゲの王のもとカシミールに留学して仏教を学んだリンチェン・サンポによって11Cに建てられたゲルク派の僧院
彼は多くの経典を持ち帰り翻訳をして「翻訳官」の尊称で呼ばれ また多くの建築家・仏師・絵師を連れ帰り ガンダーラ美術の影響を受けていたカシミール様式の僧院を西チベットに108建築した ラダックのゴンパはほとんどが山や丘の上に建てられていて アルチ・ゴンパのように インダス川沿いの平地部に建てられているのは珍しい
吐蕃は9C後半に分裂衰退 ラマ教はこの時期に形成され 以後分派をしていく 15Cゲルク派では教主が亡くなり その生まれ変わりを次の教主とするようになる モンゴルのトゥメド部の統治者は1578年 この教主に「ダライ・ラマ」の称号を贈る 17Cゲルク派はチベット全域を統一 ダライ・ラマは最高権威者となる
アルチ僧院 スムチェク( 三層堂)入口の柱や梁の装飾は当時のカシミール建築様式が使われている
柱頭飾りはイオニア様式風です
入口の外壁にのこる仏画 劣化が激しい 内部は撮影禁止になっている 見学できるのは第1層のみだが 中央部が吹抜けになっていて 上層の壁画を見ることができる 四方の壁は千仏画や曼荼羅で埋め尽くされている
ストゥーパ( 仏塔 : チョルテン )
ストゥーパの内部 リンチェン・サンポ建立のお寺には白鳥の絵が描かれる(天井・壁の境目に白色で)
回廊に並ぶマニ車
ツァツァプリ僧院 アルチ 30/4/2017
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金剛界曼荼羅の壁画
「ツァツァ」とは骨壺のことで 聖職者の遺骨を一定期間ツァツァにいれて供養するそうです (左)中央にツァツァが安置されている
学校の制服は帽子までそろって結構オシャレです アルチの村
ラダックを流れる インダス川 1/5/2017
ウィットに富む交通安全標識が沢山並ぶ
ナショナルハイウェイ1の カルチェ のチェックポイント
ムーンランド(月世界) 文字通り月面に似ているからこの名がつく 1/5/2017
ボリヴィアのラパスにも「月の谷」という似たような地形がある
生成も似ていて湖底の堆積層が隆起して浸食を受けてこの地形になったようです
あちらはアームストロング船長の折り紙つきだがこちらはどうなのでしょう
1/5/2017
ラマユル・ゴンパから見た ムーンランド ラマユル ラダック インド 1/5/2017
ラマユル僧院 ここは11C前半カギュ派の始祖ナローパが修行した洞窟がもとになってできるが
カギュ派の分派であるディグン派の総本山でもある 100人以上の僧を抱えるが子供の出家が少なくなり 年々僧の数が減っているそうだ ラマユル 1/5/2017
ラマユル僧院
僧房
ドゥカン (僧たちの集会所) 19Cの再建 チベット仏教寺院の入口には護法尊(仏の教えを守る神)の四天王 (持国天・増長天・広目天・多聞天) と六道輪廻図が描かれる ラマユル僧院
ドゥカン 内部
六道輪廻図 六道とは 人間道・天道・修羅道・畜生道・地獄道・餓鬼道
ソウジョウ 増長天(刀)青い顔 悪魔と戦う
持国天(琵琶)白い顔 仏教と平和司る
広目天(蛇と仏塔)赤い顔 仏教の力司る
多聞天(マングースと宝珠)黄色顔 仏教の宝を守る
カギュ派の宗祖たち 奥は祖師と言われるティローパ 手前左はその弟子のナローパ 手前右はミラレパ (ナローパの弟子のマルパがチベットに教えを伝え その弟子がミラレパ) 父親をうしなった後 自分を虐待した親戚に黒魔術をかけて復讐 その後自分の悪行を恐れマユパのもとで修行はじめたのち悟りを開き 数々の奇跡を起こした ラマユル僧院 ラマユル ラダック 1/5/2017
金剛界五仏の塑像 中央に 大日如来 周囲を アシュク阿閦如来(青色)・ホウショウ宝生如来(黄色)・阿弥陀如来(赤色)・不空成就如来(緑色) の4仏で囲み 一種の金剛界曼荼羅を表現している センゲラカン(獅子堂) ラマユル僧院 1/5/2017
3つのチョルテン バター細工のトルマが供えられる
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4本腕の大黒天 (マハーカーラ or ゴンポ) 仏法を守る護法神
ゴンカン(護法神堂)内
ラマユル僧院 階段よこに立掛けられているのは修復用の柳の木
ラマユル僧院 垂れ下がったまぐさのピクチャーウィンドウ
ラマユルからカルギル方向を見る
緑色が引き立つマニ車
ストゥーパ群 台座には獅子が描かれる
さらに上にも僧房が建つ
ラマユル・ゴンパの広場 正面は貴賓席になる
岩山の上に建つラマユル僧院
手を振ってくれた ホテルの近所の村人 アルチ
ラダック全体を賄う水力発電所 2013年完成 アルチ
谷川に放し飼いのヤク アルチ
家畜の牛と山羊 アルチ
アルチの民家を訪問 LDKで孫といっしょに「ペラク」を見せてくれるおばあちゃん
お嫁入りのとき持ってきた「ペラク」を お願いしてみんなに披露してもらった
おばあちゃんの至福の時はこの「マニ車」を回している時だそうだ 1/5/2017
ニダプク石窟 サスポール村 リンチェン・サンポの弟子が瞑想をした洞窟が元になり周辺に 約100の洞窟が残る 内一つの洞窟ですばらしい壁画が見える サスポール ラダック 2/5/2017
石窟の入口にかかるタルチョ
崖の頂上部にはサスポール・カルの城跡が見えている 左上の白壁の崖に洞窟があるが アクセスの道は整備されていない
石窟は瓦礫層に造られているのがよくわかるが 綺麗な壁画が残っている
石窟壁画 (中央部)十一面千手観音菩薩
この世の全ての生き物が悟りを啓くまで自身も仏にならず修行を続ける存在
( 左の画像を拡大) ニダプク石窟
(中央)釈迦如来 釈迦は仏陀 如来とは(禅定を妨げる悪魔を打ち負かし)真理を悟った者の意味で触地印をとる ニダプク洞窟 2/5/2017
リキール僧院 ゲルク派のゴンパでヘミス・ゴンパと並ぶ 創建は11Cだが現在の建物は18Cの再建
「ル」とは龍神を表し 「キール」とはそれが波打つ様子を表しているている ゴンパの脇では 1997年建立の高さ25mのチャンバ(弥勒菩薩)像がひときは目を引く 2/5/2017
リキール僧院の広場
リキール僧院のドゥカン 2/5/2017
リキールゴンパの学校 訪問歓迎 の看板
下中央の小さな看板には「I LOVE INDIA FREE TIBET 」の文字が書かれる
自習中の生徒も承知しているのか 教科書も見せてくれる
腰掛椅子でなくカーペットの床に座って勉強する
少人数の授業風景 後ろが気になる様だ
寄宿舎なので厨房設備があり 昼食のチャパティーを焼いていた
バスゴー僧院のある周辺の風景 2/5/2017
かっての下ラダックの王宮とバスゴー僧院
2/5/2017
パスゴー僧院 バスゴーはかって下ラダックの都であった 11C リンチェン・サンポがここに寺院を建てたと言われる 【歴史】 16Cにナムギャル王朝が興りシェイからレーに遷都 ツェワン・ナムギャル王の時代西の隣国バルティスタンのイスラム軍に攻められ敗北し危機に立つが バルティスタンからギャル・カトゥンを王妃に迎え融和をはかる 二人の間に生まれたセンゲ・ナムギャル王は仏教に最も熱心な王となり ラダック王国 は全盛期を迎える
バスゴー僧院と王宮跡 左の丘の上にわずかに残るかっての城壁の一部
セルザン・ゴンパの弥勒菩薩
セルザン・ゴンパはセンゲ・ナムギャル王が母親の供養の為に建てたもの
(下)【歴史】17C後半 ラダック王国とダライラマ5世治下のチベットとの間に戦争が勃発 一時はレーも占拠されるなど チベット側が優勢であったが ラダックはイスラムのムガール帝国(カシミール)からの援軍を得て 辛うじてチベットと講話を締結した 下図はそのときの講和会議の様子 しかしラダック王国は多くの領土を失い両国の板挟みのなかで 衰退していった
左から カシミール(ムガール)・ラダック ・ チベット のグループに分かれてすわっている講和の絵
セルザン・ゴンパの 弥勒菩薩 2/5/2017
この日運よく アイベックス の群れに出くわす
ムンシコンチネンタル ホテル
民族舞踏 楽隊も衣装も洗練されていた
シャプレダンス チャンタン高原の遊牧民の踊りで 土地を見つけた喜びを表現
スパウダンス(戦士の踊り)
チャスレダンス 2/5/2017
スタナク僧院 インダス川沿いの高さ60mの丘にある僧院 17Cの創建 座主スタナク・リンポチェ
よく出てくる リンポチェという名は「宝のように尊い」という意味です 3/5/2017
ヘミス僧院 ラダックで最大の僧院 17Cの創建
17C センゲ・ナムギャル王の寄進で建てられる
パドマ・サンバヴァ (グル・リンポチェ)像 8C チベットに本格的に密教.をもたらした最初の人
「雑談中」の若い僧たち
ヘミス僧院の広場 ラダックで最大の僧院ということは「収入」も最大なのでしょうね
ヘミス僧院の広場 左正面に2つのドゥカンが並ぶ 夏のツェチュには チベット文化圏からのたくさんの巡礼者や 各国からの観光客で賑わう 3/5/2017
チェムレ僧院 センゲ・ナムギャル王を弔うため 17C に建てられた 3/5/2017
チェムレ僧院
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カギュ派の高僧の並ぶゴンカン(護法神堂)
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ティクセ僧院 岩山の中腹を僧房が埋め尽くし 頂上には本堂がそびえる しばしばチベットのポタラ宮にたとえられる ラダック最大の弥勒菩薩像やゴンカンがある ティクセ
チャンパホテル 2階左より2の部屋
ダライ・ラマの泊まった部屋が保存されている
ティクセ僧院のマニ車
ティクセ僧院の広場
弥勒菩薩像 1980年完成 このデリケートな淡い彩色は現代的 金剛界五仏の冠を冠っている 弥勒堂(チャムカン) ティクセ僧院
ティクセ僧院 3/5/2017
ドゥカン ティクセ僧院
シェー王宮 シェーとは「水晶」の意味 10C~15Cまでこの場所にラダック王国の都が置かれた
シェー王宮 部分的に残る出窓部の木枠 3/5/2017
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シェー王宮 頂上には城跡が残る
シェー王宮窓からの眺め 麓には湿地帯が見え 水利に恵まれていたことが伺える
スピトク僧院 座主 バラク・リンポチェ 空港にも彼の名が付き 政治力が伺える
スピトク僧院 4/5/2017
シャンティ・ストゥーパ シャンティーとは「平和」という意味 1985年 日本山妙法寺により建てられる
第二次大戦後 同寺は平和を祈願した建設活動に寄与してきた レー 4/5/2017
シャンカール 僧院 20C 初頭 バラク・リンポチェ により創建される 4/5/2017
白傘蓋仏母 「災いから守ってくれるとても強い女神」顔・手・足がそれぞれ千ある
十一面千手千限観音菩薩
足で悪魔を踏みつけている
4/5/2017
ナムギャル・ツェモの丘からみるレーの町 4/5/2017
タルチョがはためくツェモの丘
レー王宮
レー王宮の入口 4/5/2017
白傘蓋仏母(レー王宮)
王宮から見上げるナムギャル・ツェモ
高峰 ストック・カンリ 標高 6153m 4/5/2017
レー王宮の窓より
レー王宮とナムギャル・ツェモの丘 ポタラ宮のモデルになったと言われる レー ラダック 4/5/2017
ジャマー・マスジッド スンニ派のモスク メインバザール レー 4/5/2017
メインバザール 見上げるとレー王宮 レー ラダック 4/5/2017
レー メインバザールの賑わい
メインバザールのはずれではフリーマーケット
下校中の子供達
なじみの客も多い裏通りの店
店の窯はどこも年期入り
「おこぼれ頂だい」でワンチャン・メエチャンが待つ
レーの町と星空 山上には白鳥座・こと座が見える 明日はもう帰路です 4/5/2017
まだまだ「あどけない」お坊さん
早朝のプージャは笛の合図で集まる
「僕らは坊主の同期生」 ティクセ僧院
5/5/2017
お経をあげて朝食が始まる でも「ねむいなー」 5/5/2017
当番がバター茶 を注いで回る われわれの見学者にも振舞われる ティクセ僧院 5/5/2017
上からも仏座像がにらみをきかせ ドゥカンに 再び凛とした雰囲気が戻る ティクセ僧院