キャリック・ア・リード吊橋 アントリム海岸沿 13/7/2013
近くにあるカーンロックの小さな漁港
ジャイアンツ・コーズウェー コーズウェイとは「石の道」 の意味 巨人フィン・マックールの伝説が残り 「巨人が恋人に会いに行くために造った」とか「巨人が対岸スコットランドのベナン・ドナーと戦うために造った」 とか言われる 対岸にも同じような地形があるようです 5000~6000万年前の火山活動のマグマが海岸に流れて 後冷却されて さらに後に氷河に浸食されたそうです 六角形が最小のエネルギーで凝縮できる形だそうです 北アイルランド UK 13/7/2013
柱状節理の玄武岩が打ち込まれた杭のごとくひろがる その数約4万本という
中央に「巨人のブーツ」 ジャイアンツ・コーズウェイ
博物館はタイタニック号と同じ高さにしてある
タイタニック号は当時人類がこしらえた世界最大の乗り物であった 総トン数約46000t
タイタニック号の悲劇から100年を記念して2012年にオープンした博物館 13/7/2013
1500人以上の犠牲者を出したが 今や歴史の遺産であり 観光資源でもある
タイタニック号を建造したドライドック
ベルファストの町の紋章 タツノオトシゴとオオカミ
ベルファストのシティーホール 1906年建立 正面に ヴィクトリア女王の像 南アの ダーバンにも同じ設計図で庁舎が建てられている 14/7/2013
聖アンズ聖堂 1904年建立の英国国教会
北アイルランドでは毎年7月にプロスタント勢力が1690年のボイン川の戦い (ウイリアム3世のイングランド軍と名誉革命でスコットランドより亡命のジェームズ2世を支持するアイルランド軍がルイ14世の援軍を得て戦う) の勝利を祝い行進を行いしばしばプロテスタント勢力と衝突を繰り返している この問題の歴史的な根の深さも伺える
カトリック系住民がほとんどの西ベルファスト地区1970年に戒厳令がしかれたときのレジスタンスの政治プロパガンダが今も描かれている UK
壁画の上には鉄条網と右上にはプロテスタント系住民ガ多い東地区への防護フェンスが見えている 西ベルファスト UK 14/7/2013
北アイルランドの議事堂 ストーモントエステート
(左) ストーモント国会議事堂 英国内の自治政府の議事堂として1932年設立され北アイルランド議会(1920~)が置かれる
1972年北アイルランド紛争が激化して英国政府による直接統治が始まる
1998年の「ベルファスト合意」によりアイルランド共和国は北アイルランド6州の領有権を放棄し 北アイルランド議会が再建され「北アイルランド問題」は収束を迎えた
マナーハウス(領主の館)を改装した Abbey Roscommon Hotelに宿泊
コリブ湖のクルーズ船 夏休みで船長の娘も手伝う
アッシュフォード城 コリブ湖の遊覧船より撮影 13Cに建てられた 1939年より古城ホテルとして運営されジョージ5世や多くのセレブ達が泊まっている 1952年のジョン・ウェイン主演映画「静かなる男」の舞台となった コングはゲール語で「細長い場所」の意味 コング アイルランド 15/7/2013
コング修道院 7C初めの創建 12C・13C再建される ロマネスクとゴシック様式が残る
院内のケルト十字墓碑
今日はサーモンかトラウトか 大物がつれるといいな!
モハーの崖 Cliffs of Moher展望台の中央部からハグ岬方向に高さ200mの断崖が全体で約5km続く モハーとは「廃墟になった崖」の意味 岩肌は泥板岩と砂岩の層 この崖には柵もあって安全のために警備員も配置されている 220011 15/7/2013 アイルランド
モハーの崖とオブライエンの塔
18Cに領主が建てたオブライエンの塔からはアラン諸島がよく見える
220012 15/7/2013 アイルランド
巨人のテーブル BC3800~BC3200頃のドルメン 墳墓跡とされる バレン高原は石灰岩が一面に露出したカルスト大地で クロムウェルがこの地に侵攻したとき「人を吊るす木もなく、溺れさせる水もなく、生き埋めにする土もない」と言ったそうです バレン高原 アイルランド 15/7/2013
イニシュモア島到着 (ロッサビル港より約1時間)
キルロナン港にあったアランセーターを売る店
ドゥーン・エンガスの崖 高さ約90m
モハーと違って柵もなければ警備員もいない
断崖の高さは半分だが こちらの方が怖い
ドゥーン・エンガス遺跡 古代ケルト人が築く
レンタサイクルで島を回る人も多い
イニシュモア島 (大きな島の意味 アラン諸島では最大 人口875人) 中央部から南東方向 石灰岩の間にフクシアやスイカズラの花が咲いている アイルランド 16/7/16/2013
庭に「妖精の家」を祀った民家
アイルランドでは太古の昔のアニミズムが諸神や先祖崇拝と融合され、島々の種族の歴史や伝説のなかに「妖精」が存在してきたキリスト教がアイルランドにパトリックによりもたらされた後も 異教の神々や妖精信仰が残った
聖キーラン修道院跡
ケルトの宗教が神官ドルイトの権威のなか信仰されていたが キリスト教が490年聖エンダによりイニシュモア島に伝わる その弟子聖キーラン ガ創建した教会 12Cに再建したものが残る
イニシュモア島 16/7/2013
聖ニコラス教会と門前市 1447年コロンブスが航行の安全祈願をした教会 聖ニコラスは船乗りの守護聖人 ゴールウェイ 16/7/2013
アイリッシュの家系出身であった故米国大統領ジョン・エフ・ケネディー訪問記念像 ホテル前広場
余談ですがケネディーという名前は今やセレブの代名詞だが「醜い頭」という語源説がある 現地の人も知らないひとが多い
ゴールウェイの町はストリートパフォーマーも多く賑やか
ニューグレンジの墳丘墓 17Cに発見された古墳で BC3200年頃のものとされ ナウス、ダウスとともにブルー・ナ・ボーニャ古墳群の三大古墳の一角をなす 周囲約100m高さ約11m アイルランド 17/7/2013
ニューグレンジ墳丘墓入口
入口の平置きの巨石には渦巻文様と菱形文様が施されている
中は撮影禁止
入口上部の開口はルーフボックスと呼ばれここからの採光で石室の床を照らす
220015 13/7/2013
ヴァイオリンを弾く少年たち
近くの道端でヴァイオリンの練習をしていた
三人ともよく顔が似ている
兄弟だろうか なにか牧歌的です
ニューグレンジ
220016 13/7/2013 アイルランド
タラの丘 ケルト族がくる以前ダナーン族がタラの丘に居住して既に聖地であった 1C~5Cにはアイルランドに180ヵ国程のケルトの小国があり その上王(王の中の王)を選んだのがこのタラの丘 ファル 「運命の石」に触れたときに石が叫ぶとその人が上王になったという アイルランド人にとってのアイデンティティの象徴的な場所 19Cダニエル・オコンネルのアイルランドの自治を訴える演説会にはここに100万人のアイルランド人ガ集まった 標高180m ナヴァン ミース州 アイルランド 17/7/2013
下の墳丘が王の座 上はコーマックの居城
捕虜の墓と呼ばれる新石器時代の羨道墳
王の座にある リア・ファル 「運命の石」
1798年独立を求めて命を落としたユナイテッド・アイリシュメンの追悼碑
5C タラの丘でレアリー上王に布教の許可をとりつけた聖パトリックの像 右手に三位一体を象徴するシャムロック(クローバー)を持っている
たくさんの願い事が書かれた手紙がかけられた 妖精の木
最盛期の想像図
グレンダーロッホ 湖 ゲール語でグレンは谷、
ダー、ロッホいずれも湖で 二つの湖に挟まれた谷の意味になる 18/7/2015
6Cに聖ケビンがこの辺りの洞窟で修行をしたのが始まり 深い森に守られヴァイキングの襲撃も免れた
苔むしたケルト十字の墓碑に囲まれて谷の中央に立つ円塔(ラウンドタワー) 高さ 30m 用途は様々で鐘楼、監視塔、避難所、牢獄、ランドマークなど 入口は高さ3mの所で梯子を使った
聖ケビン教会 10Cの石の教会 円塔付き切妻の石造屋根が残っているのは珍しい
教会の墓地は天国に一番近いと考えられた
大聖堂 10C~12C 18/7/2013
聖パトリック教会 5Cに木造で創建される 1191年に石造で再建 現在アイルランド国教会
「ガリバー旅行記」を書いたジョナサン・スウィフトが司祭長を務めたこともありデスマスクや墓ガある
ジョナサン・スウィフトのデスマスク
床に埋められたスウィフトのお墓
トリニティーカレッジ オールドライブラリー 1592年エリザベス1世により創設 当時はプロテスタントのみが入学できた 1階 「ケルズの書」(8~9Cケルズ村の修道士達によってで作られた福音書の写本)の展示や 2階は65mのロングルームの書庫、 独立宣言書、最古のアイリッシュハープ(15C)などがあります
「ロングルーム」と呼ばれる図書館
まるで「ハリーポッター」の世界ですね
最古のアイリッシュハープ 15C シナの木製
これは打楽器それとも弦楽器 ?
このおじさん「はち公知ってるよ!」と言ってた
パブはいたるところに 店の前で飲む人も多い
黒い地ビール「ギネス」は一番人気
リバーダンスショーの幕間 アイリッシュダンスは勿論 フラメンコ コザックダンス アメリカンタップダンスの競演も
リバーダンスショーのあるゲイエティー劇場の入口
ダブリン アイルランド 18/7/2013
ヘルシンキからタリンに向けて出港 バルト海のフィンランド湾を横断するしばし85kmのクルーズ 12/8/2002
一番高いのが聖オレフ教会 (修復中)
タリンの街はデンマークの王により建設されたが
「デンマークの城」を意味する「ターニ・リン」からタリンと呼ばれる 13Cにはドイツ商人が住み着きハンザ同盟の都市として発展する 同時期トーンペア城はドイツ帯剣騎士団により要塞として建設されその後改築が繰り返され46mの「のっぽのヘルマン」の塔を持つピンク色の宮殿風の城となった 現在は国会議事堂として使われている タリン エストニア
もとは14Cに建設されたブラックヘッド(リガのドイツ未婚商人の会館)ギルドハウス 2001年復元
聖ペテロ教会 1209年建立 2次大戦後再建
19Cユーゲントシュティールの建築が多く残るリーガ
猫の家 ギルドへの加盟を拒否された商人が 猫の尻をギルドハウスに向けて屋根に飾ったが訴えられ裁判所命令で向きをかえさせられたいきさつがある
兄弟のように肩をよせあって立っている17Cの住宅 1階が住居にあてられ地下と階上は倉庫として使われた 左端は間口税が課された時代に建てられる リーガ ラトビア
15Cに建てられたリーガで一番古い住宅 当時窓税が課されたので窓が小さい 玄関に石のベンチが設けられている
マザー・ピルス通り NO.21 リーガ ラトビア 14/8/2002
ネムナス川 と ヴィタウタス教会 左手でネリス川と合流 アレクソータスの丘より 14/8/2002 カウナス リトアニア
ヴィタウタス教会
(上)ペリクナスの家 15Cゴシック建築 その昔この地に雷神ペリクナスを祀る家があったのでこの名がつく
(左)1410年ヴィタウタスが建立 ヴィタウタス大公がタタール征伐に出かけた時 戦場で難を逃れたことがあり 感謝意を込めて建てる カウナス リトアニア
トラカイ島城 ガルヴェ湖の島に建てられた赤レンガの古城 リトアニア
トラカイ城内
建設は14C後半中世リトアニアの君主ケストゥティスにより始められ 1377年ドイツ(チュートン)騎士団の攻撃で損壊をうけるも 1409年頃その息子ヴィタウタスにより完成する リトアニア大公国において中心的な場所であった 侯爵宮殿のあった中庭を囲う城壁内側には木製の廻廊が巡らされていた
(左)1410年中世ヨーロッパ史上最大と言われるタンネンベルク(グリンヴァルト)の戦いでポーランド・リトアニア連合軍がドイツ騎士団を破り ヨーロッパ最大の版図を持つ強国となり最盛期を迎え トラカイ城はその軍事的重要性を失った 1430年ヴィタウタスはこの城で亡くなる ポーランドのジグムント2世の統治下においては当初のロマネスク・ゴシック様式からルネッサンス様式に改装され夏の離宮として使われた
その後17Cモスクワ大公国との戦いで城は破壊される 15/8/2002 リトアニア
グリンヴァルトの戦 ポーランド軍の農民兵がドイツ騎士団長(馬上白黒の服の人物)を打つ瞬間
聖ペテロ&パウロ教会 ロシアからの解放を記念して17C建てられる ビリニュス リトアニア
バロック様式 内装はイタリアから技術者を招き30年をかけて造られ 2000以上の漆喰彫刻で飾られている ビリニュス リトアニア
聖アンナ教会 ビリニュス リトアニア
(上) ビリニュス大聖堂 1251年十字軍の弾圧から逃れるためミンダウガス王がキリスト教を受け入れ建設 後方山上に少しのぞく ゲディミナス塔 14Cビリニュスの創設者大公ゲディミナスが トラカイからビリニュスに遷都したときに城が築かれた場所 塔のみ残る
(左) 15C後半 33種類ものレンガが使われているゴシック様式の教会 レンガ造りとは思えない繊細な線と影が見える フランボワイアン式ファサード 1823年ロシアへ攻め上がるナポレオンがビリニュスに入城したとき「わが手に収めてフランスに持ち帰りたい」と語ったといわれる
ジグムント3世像と王宮広場 ワルシャワ
マーケット・スクウェア 旧市街 ワルシャワ ポーランド
サスキ公園内 無名戦士の慰霊碑 1925年建立 衛兵の交代式 17/7/2002 ワルシャワ
サンマリノ城 第一の塔グアイタ
11Cの建設 眼下遠くにアドリア海とリミニの町がみえる 4C初めディオクレティアヌス帝のキリスト教徒迫害を逃れて 石工聖マリノがこの山上にキリスト教徒の団体をつくったことに由来する
220031 17/10/2014 サンマリノ
第二の塔 チェスタ
ティターノ山頂の最高点にある
サンマリノ
22032 17/10/2014
首都ファドゥーツのメインソトリート
左から国会議事堂 (人口3万人議員25人)
政府庁舎
聖フローリン教会
リヒテンシュタインは「光る石」の意味
リヒテンシュタイン公国
220035 16/10/2014
ファドゥーツ城
侯爵が居る場合は旗が3本揚がる ハプスブルグ家の家臣であったが一次大戦後決別
元首はリヒテンシュタイン家の当主による男子世襲制 個人資産は推定30億ユーロ
220036 16/10/2014 リヒテンシュタイン
アンドラ・ラ・ラヴェリャ アンドラ公国の首都
アンドラ公国はフランス大統領とスペインのウルヘル司教を国家元首とするピレネー山中の小さな国 スキーのリゾートや免税品のショッピングスポットとして賑わう 町の建物の屋根はほとんどが地元産の黒っぽい玄昌石(粘板岩)で葺かれていて景観にまとまりと落ち着きを与えている
220041 22/10/2014 アンドラ公国
サンタ・コロマ教会
アンドラで最古の教会 1033年に建立されたロマネスク様式の教会 石積みで四隅の丸い鐘塔と 入口の位置が中央にあり まわりより低くなっているのが特徴
アンドラ 公国
220042 22/10/2014
カサデラバル
「谷の家」
ヨーロッパ最小にして最古の旧国会議事堂 ロマネスク様式
アンドラ・ラ・ベリャ
アンドラ
220043
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