アビジャン ル・プラトー周辺とエブリエ潟 アビジャンは人口約500万のこの国最大の都市 1960年仏よりコートジボワールが独立時 首都はアビジャンからヤムスクロに移転 コートジボワール 4/11/2016
一方向からの吊天井構造
サンパウロ大聖堂 イタリア人による設計
曲線の開口部にステンドグラスが映える 椅子の列にもカーブがかかり内部の雰囲気も和らぐ
オールターのステンドグラスは天井まで高くとられて 全体に明かりをひろげまた気持ちを集中させている サンパウロ大聖堂
国立民族衣装博物館 (旧総督邸跡) グランバッサムはコモエ川の河口でアルサムと呼ばれていた町で時代ごとに様々な民族が流入し フランス植民地時代には首都が置かれたところ
土着信仰の豊饒神
昔からコスチュームは結構ファショナブルなものがあります
プリミティブな素材ですが「なまはげ」の衣装みたいです
総督業は「ラクチン」です
昔の熱帯雨林にはこんな巨木があった
ノスタルジーを感じる木のルーバー窓からの風景
総督の隠し「脱出梯子」
総督業は「キケン」です
コロニアル建築
旧植民地時代の旧市街の建物
旧郵便局兼税関跡 現在アーティストのアトリエ
マラリア(感染死)の慰霊碑 手には薬草
お祭の日の市場の賑わい
サクレクール教会 (コートジボワールで最初の教会)
雰囲気を盛り上げるお祭の路上ポスター グランバッサム
お祭のメインステージの櫓 下ではこどもたちが竹のパーカッション
ビーチで遊ぶ子供達 大西洋の波は高い
ビーチのお店 「絵」を使った看板が多い
お祭りのこの日 (旧)国王と部族長の集まりが終わったばかりで 解放感も手伝ってか みんな 笑顔で答えてくれた グランバッサム コートジボアール 14/11/2016
エルミナ城 (セントジョージ要塞) 1471年当時ギニアと呼ばれたこの地をポルトガル人が訪れ 内陸でとれる金を手に入れたことからミナ・デ・オロという港町が起こる 1482年ポルトガルがスペインに対抗して ギニア湾防衛基地としてエルミナ城を建設 1637年オランダ東インド会社に受け継がれ 奴隷貿易の拠点となった 1872年よりイギリスの統治下におかれる 1957年の独立までコスタ・デ・オロ(黄金海岸)と呼ばれる エルミナ ガーナ 15/11/2016
要塞城壁より見る夕日 ここに立つと暗黒時代を思い浮かべずにはいられない
エルミナ海岸
要塞の中庭
上には総督の部屋
女の奴隷牢入口
お仕置きの牢 生きて出られることはなかった 中には犠牲者へ慰霊の花束が置かれている 15/11/2016
奴隷牢内部 ここに 100~150人もの奴隷が詰め込まれ トイレもなかった
男の奴隷牢入口
東側の海岸からみるエルミナ城 1482年にクリストファー・コロンブスもこの地に来たみたいだ
エルミナ漁村の朝市 行きかう 掛け声・ 鼻をつく魚の匂い ・原色の服の色・よそ者を見る鋭い視線 はすごい活気と迫力です 丘の上に見えるのは セント・ジャゴ要塞
漁船のマストに掲げる色々な国の国旗は単に船の目印に使われていてあまり意味はない
トロ箱を頭にのせて運ぶのはおてのもの 女性は写真を撮られるのを大変嫌がるので要注意!
漁を終えて入港してきたばかりの漁船
ケープコースト城 1555年スウェーデンにより建てられる その後 デンマーク →オランダ→1665年イギリスと支配権が移る 当初はガーナ産の金が主であったがその後 奴隷貿易へと変わっていった 16C中頃~19C中頃の約300年の間に1500万人以上がアフリカから奴隷として売られたと言われ ヨーロッパから武器や綿織物がアフリカに売られ アフリカからアメリカ大陸と西インド諸島へ奴隷が売られ そこからはヨーロッパへ綿花・砂糖・コヒー・タバコなどが売られる 所謂三角貿易構造が成立
実際に使われた手枷・足枷・首枷
帰らずの扉 ケープコースト城
ケープコースト城から見える漁村 こんなに浜に人がいる漁村はめずらしい ガーナ 16/11/2016
国道8号線復旧工事のガーナ・日本友好の看板が立っていた クマシ ガーナ 16/11/2016
ヤー皇太后の像 1900年自ら銃を持ち英国に抵抗 アシャンティ王国最後の指導者 敗北し1901年セイシェルに流刑 上着のひかりものは装飾ではなく防弾用のメタルだそうだ
熱帯雨林帯の巨木が時々沿道に顔をだす
英連邦に加盟するが右側通行
ヤシを潰してパーム油をこしらえている
カカオ豆の天日干しをする農家
ビシアス神殿 イギリスとの戦争で破壊されるが再建 木と竹の構造材に土壁 屋根はヤシの葉
アシャンティの伝統建築群の一つ 世界遺産登録
左は神官の格好をする86歳の管理人 因みにガーナ人の平均寿命は57歳
柄には名前が付きそれぞれ意味がある ボンウィレ村 クマシ ガーナ
伝統のケンテ織の工房 織子は全て男子
アシャンティ王宮入口
アシャンティのシンボル ヤマアラシ
クマシの市場(西アフリカ最大の規模) クマシは首都アクラに次ぐ人口約200万の大都市
17C~19Cにかけてこの地方を支配したアシャンティー王国の古都でもある 17Cに ヨーロッパ人から銃火器を購入したしたアシャンティ族が周辺部族に対して優位に立ち 奴隷貿易で力を蓄え アシャンティ王国を建設して大いに繁栄したが 19Cには植民地化と奴隷貿易の衰退とともに消滅 また クマシは熱帯雨林地方に位置して多彩な植物が生息して「庭園都市」とも呼ばれている
牛の頭や足を売っていた陽気な連中
所せましの日用品売り場
偶然出くわしたお葬式 本来写真は遠慮すべきところですが 現地ガイドがこんな盛大なお葬式に出会ってみんなラッキーだと言って自らもスマホをとりだした 部族長クラスの偉いかたの伝統的な葬式らしい 赤い喪服は近親者が着る 偉い人は傘の下に席をとる
アフリカらしくドラムとダンスで葬式を盛り上げる
クマシ ガーナ 17/11/2016
便乗の物売りも出てくるが ちゃんと喪服らしきものを着ている
エンクルマの像
エンクルマ記念館 第二次大戦後のアフリカの独立運動を指導した「アフリカ独立運動の父」 1957年ガーナ共和国の独立を達成
エンクルマの墓
野口英世の像 コレブ病院構内
福島県出身 ペンシルベニア大学卒
ロックフェラー医学研究所研究員
野口は黄熱病の研究中に自らも罹患し1928年ガーナのアクラで51歳で死去
野口英世記念館 「英ちゃん」の案内看板
実際に野口が使っていた研究室
棺桶工房 パームヤシ(油ヤシ)の実の棺桶
全てオーダーメイドで約9万円位
エビの棺桶を製作中 故人はよほどのエビ好きかエビの漁師か ?
工房で遊ぶ子供達
二階の「ショールーム」からはみ出す魚の棺桶
大統領官邸
独立記念門 アクラ ガーナ 19/11/2016
地元の陶芸品 左奥には窯もみえる
マンゴー売りのオバチャン 恥ずかしそうに喜ぶ
ヴォルタ川 ガーナとトーゴの国境近くを流れるアフリカで三番目の大河 ガーナ 19/11/2016
国境近くの橋から見るヴォルタ川の河口 1885年この辺一帯ガ独領トーゴランドと宣言されたが 第1次世界大戦後の独領の分割で 東側はフランスがトーゴランドとして統治し ”ヴォルタ川を含む”西側は英領トーゴランドとなり 後に英領ゴールド・コストと併合された(現ガーナ)
【植民地政策】 アフリカでのイギリス の植民地政策は間接統治方式がとられ アフリカ人首長層を行政組織の末端に組み入れ 総督の下の行政審議会・立法審議会にもアフリカ人首長層を入れ 訓練をおこなった 独立後ガーナやナイジェリアではこの経験が国家運営に役に立ったはずだ 一方フランスのアフリカでの植民地政策は同化方式がとられ フランス文化を植民地に普及させ フランス化して吸収しようというものだった 一部エリートの同化民と多数の非同化民の二分化が進んだ
【管理される通貨】旧仏領西アフリカと旧仏領赤道アフリカの14ヵ国は「CFAフラン」を使用しているが この14ヵ国は全ての外貨準備の65%(約2兆円)を共同準備金としてフランス中央銀行に預託して ユーロに対してのCFAフランの固定相場を維持している
昨今経済成長著しいアフリカ諸国だが 例外的に成長が停滞しているのがCFA通貨経済圏
の14ヵ国で ユーロに固定されることで安定はあっても 輸出が伸びず また超低金利ではリターンもすくない これを新植民地税というのでしょうか 19/11/2016
タンバルマ郷 結婚式に使われた牛の角の帽子 国立博物館 ロメ トーゴ 19/11/2016
鉄を精製する炉とふいご
トーゴ
ブードゥーマーケットの案内人 手にもっているのは薬に使ったり 儀式に使われるものです
ワニ フクロウ サル カメレオン などがが乾燥されて売られている ロメ トーゴ
ブードゥー教 火の祭壇 年1回ここで火をともす儀式が行われる ブードゥーマーケット ロメ トーゴ
トーゴの首都ロメは現地語で「小さな市場」の意味 ロメ港は水深が深く 堆積がすくない天然の良港 コーヒー豆・ ココア・ コプラ(ココナッツの核の胚乳を乾燥させたもの)・ パームヤシ などが輸出される
エヴァンジェリスト教会
本日はミサですが見学の許可がでた
みんな楽しそうにゴスペル調の讃美歌をうたっている 日本人を見るのはめずらしそうだ
バオバブの木 種類は不明 ソトゥブアの村
中央州 トーゴ 20/11/2016
バオバブの実
実を二つに割ったところ 白い果肉は甘くはなかった がビタミンCやカルシウムを多く含む 種子からは油が取れ 若葉も食用樹皮は煎じれば解熱剤、解繊して編めばロープになる バオバブの蜂蜜もある
(左)今年7月に上の写真のバオバブの種子を鉢に植えました 中々芽が出ず諦めていましたが 10月に種皮を帽子のようにのせて 鮮やかな緑の芽が出ているのを発見して感動しました
現在約3cm できるだけ育ててみたいとおもいます 自宅にて 3/10/2017
ポーズを取ってくれた農家のお母さん 衣装もきまっています
農村の原風景はどこも同じように思う
15歳の娘さんが母直伝の手法でチーズを作っているところ ソトゥブア トーゴ
ソコデのあるこの地方はテム族とコトコリと呼ばれるイスラム化した民族で構成され 70%がイスラム教徒で トーゴ最大のムスリム居住区で トーゴにあって独特の風情を持つ
この民族が周辺に次々と村落を築き交易圏や文化圏をひろげていった 当時の主な交易品の一つが「コーラの実」であったと言う
ソコデ 21/11/2016
ブードゥー教炎の儀式(テュボール) その昔ここは勇壮で知られた戦士たちがいたが ある日火を使って攻めてきた他部族に負けて村は焼かれた そのことを悔いた戦士たちは火の神と契約をした その後火によって侵略されることはなくなり 今も火の神との契約が続いているなごりだ こどもたちも楽しみが少ないのか みんな出てきてしんけんに見ている カラタオ ソコデ トーゴ
シアバターの木 女性に保湿クリームとして人気のシアバターがとれる
シアバターの木(部分拡大)
ダンバルマ郷 バッサンバ村 ベタマリベ族が住む 世界遺産 トーゴ(側)
円錐の土の塔は魔除けの意味があり 21/11/2016
入口には呪いの呪物 中二階はキッチン
バッサンバ村の村長 自身も店をひろげる
結婚式の儀式用帽子をつけて民族舞踊を披露してくれた バッサンバ村 ダンバルマ郷 トーゴ
楽しく踊ってくれるが生活は苦しそうだ
世界遺産になり観光収入にも期待が高まる
このバオバブはこの村にとって 象徴敵な存在なのかもしれません
バッサンバ村 ダンバルマ郷 トーゴ
バオバブの内部 立った状態で7~8人は入れるでしょうか 部族間の争いや奴隷狩りから逃れるために使ったといわれる
バオバブの入口 身体をねじってなんとか入れるが 少しカムフラージュするとまったくわからない
タタソンバ郷 タガリ村 ソンバ族が住む 入口には呪物 外壁には伝統の装飾文様が施されている ナティティンゴ ベナン
青空の散髪風景
自宅を一人で増築している村長
二階の穀物倉庫
タガリ村 小学校 訪問 生徒数177人
校長室で窮状を聞かされ 寄付をねだられる
ジューグー ドンガ の小学校 生徒数2000人 30クラス
校長先生いわく 「この学校は日本の援助で建てられた」
ここから南へ サバルー 方向へ
コーラの実 (アオギリ科 アフリカ原産) 交差点の市場で売っていた コカ・コーラはカフェインを含むコカの葉とコーラの実が主原料だが現在「コカ」は名前だけで コカの葉は使われていない
交差点の市場で売っていた
ダッサ コリネス ここで昼食を取る
21の岩山が続くサバルー山地
白い袋に詰めて売られているのはガリと呼ばれるキャッサバの粉 ダッサ ベナン
サバルー 神殿のあるブードゥーの聖地 ブードゥーはフォン族の言葉で「精霊」の意味 ブードゥー教はもともとカリブ海地域に連行された奴隷の人々の伝承・信仰がキリスト教と融合してハイチでその基礎ができた宗教で 発祥の地ベナンでは1989年国教とされる
神官はオウンガンと呼ばれ 儀式を取り仕切るだけでなく病気の治療や除霊、祈願、占いなど様々な役割がある
アボメーは17C建国のダホメー王国の首都 奴隷貿易で栄えゲゾ王の時代に最盛期を向かえた 17C~19Cにかけてフォン族がアボメーの王宮群を建てた 1894年フランスの植民地となる 1960年ダホメ共和国として独立
1975年ベナン人民共和国に改称
このベナン唯一の世界遺産遺跡には12の王宮と要塞があります
アボメー王宮と博物館 アボメー ベナン 22/11/2016
外壁にはブードゥー教の影響をうけた難解にして奇妙な動物のレリーフがたくさんある
新設部 ブードゥー的ダホメー文化のモダンアート?
ブードゥーダンス 「エグングン 」と呼ばれる先祖の霊と 家族や地域の絆を強めるための祭りの儀式的踊り 先祖からの忠告を伝える役割のため派手な衣装で着飾っている アボメーの下町の狭い一角で演じられた 舞う人も演奏する人も観客をガードする人も みんな真剣で 観る方にも緊張が伝わる いかつい顔のメインドラマーはなにやら怖かったが魅力があった 急に女性の飛込み踊りが入り笑みがこぼれた
皮も裂けんばかりに激しくたたかれるドラムの音に 踊り手の気持ちも 観衆の気持ちも高ぶる
・
いきなりの女性ダンサーの熱演
装飾をこらした様々な衣装がある ベールには小さな貝殻のスクリーンがつけられ 踊り手は目線を隠している
衣装のマントはポルトガル人がもたらしたそうで ベルベット・シルク・ダマスク織などで作られている
ブードゥーの聖地 ウィダの聖なる森 中は別世界 水木しげるの妖怪が出てきそうだ
入口にある一対のパンサー(ジャガー)像
中央の大木は樹齢約400年のイチジクの木
この森はパッセ王が逃げ込んで(手前左端の)木に姿を変えたという伝説がある 神秘的!
奴隷商人 ドン・フランシスコ・デ・スザの邸宅跡
この前の広場には奴隷市場があったそうだ
口枷・足枷をされ繋がれた奴隷像
忘却の木のあった所に建つセイレーンの像 男は9回女子供は7回 過去を忘れるためにその木をまわらされた
ペリカンに咥えられている魚は奴隷のシンボルなのでしょうか
路地角にあるブードゥー神の祠
信者は先祖の霊に直接アクセスできて 困難なときに助けてくれると信じている ウィダ
帰らずの門 奴隷街道の終点 向うは大西洋 西インド諸島や南北アメリカにここからも多くの奴隷が送り出された ウィダの数々のモニュメントは2008年にアメリカに渡った奴隷の子孫たちがベナン政府に呼び掛けてできたものです
当時奴隷の輸出港はウィダ(ベナン)、ゴレ島(セネガル)、エルミナ(ガーナ)、ザンジバル(タンザニア)、ポートノア(コンゴ)の5つがあった
かっての奴隷街道
亡くなった奴隷の墓地 中央の墓碑の黒は奴隷を赤は血を表す
ガンビエの水上生活集落 人口2万2000人 学校も病院も教会も揃っているという ベナン
空に開いた投網 4回投げて収穫0 最近の開発で水も汚染されているという ガンビエ 13/11/2016