大雁塔

西安の大雁塔 652年創建 玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像を納める

慈恩寺の伽藍と西安市内が一望できる

中央広場には玄奘三蔵の像 12/8/2011                                 


鳴沙山月牙泉     敦煌は砂州とも呼ばれゴビ灘(タン)のオアシス都市で甘粛省の西端に位置し漢の武帝がBC4Cに置いた河西四郡の一つ 大勢で下ると雷のような音が出るので鳴沙山の名がつく  東西40Km南北20km 月牙とは中国語で「三日月」の意味で泉がこの形になっている 住民は草花に水をやったり周辺の環境維持に熱心だ 13/8/2011

楼閣

月牙泉と観音寺


砂漠だがオアシシスの水をひいて花壇を広げている         13/8/2011

砂丘の尾根を登る観光客

客待ちの二つこぶラクダ


敦煌莫高窟 (千仏堂)      鳴沙山の南北1.6kmにわたる断崖に4Cの頃から造営が始められ北涼、北魏、隋、唐、五代、元と掘り続けられ現在734の洞窟が確認されている  手前はワジの大泉河  唐代末期15代皇帝・武宗のとき(845年)仏教を排斥する「会昌の廃仏」の嵐が吹き荒れたが  敦煌は当時吐蕃(チベット族)の支配下にあり難をのがれ  また10Cカラハン王朝のチュルク系イスラム勢力が興ったときは  破壊を免れるため西夏による防備や隠蔽により「砂漠の大画廊」といわれる貴重な仏教美術が残されることになったという諸説がある                        

莫高窟入口正面  九層楼 中に35.5mの大仏像がある 第96窟部 695年に造営が始まり千年以上に渡り改築される  

全ての石窟が見えるわけでなく  開放されている約40窟(南区)の内で さらにガイドが選んだものしか見ることができない

                                                    14/8/2011


観光客でにぎわう莫高窟入口 ここは年間降雨量僅か36mmなのだが  この日は珍しく小雨で傘をさす人も出てきた  

莫高窟の蔵経洞を発見した王導士の墓

英国のスタインコレクションの経典も彼から得た

14/8/2011


第57窟 南壁 部分 初唐 (イメージ写真)

石窟内は一切写真撮影は禁止ですが

懐中電灯は使わしてくれました 右脇侍観音菩薩像は美人像と知られこの石窟が「美人窟」と言われる所以です

 阿弥陀仏が中央で結跏趺坐し説法をする場面で よく法隆寺金堂壁画との比較に引用されるものです  平山郁夫氏は長安の工房で創作されていたものが西の敦煌と東の奈良に分かれ伝わったのではと推理しています  東山健吾氏は古代ホータンに起源をもち唐・長安を席巻した尉遅(ウッチ)派の絵画技法が中国・中原から敦煌に及び取り入れられたとも述べています

中村清次氏は日中合同調査団でホータン北東のダンダン・ウィリク遺跡から尉遅派の特徴である「鉄線描」の如来画像を発見し  「幻の画家集団・尉遅派」の実体の解明に大きくせまりました 

博物館レプリカ展示 第275窟  交脚弥勒菩薩

4~5C十六国時代 西域仏教芸術の影響を受けた 典型的な敦煌初期塑像

白馬塔 クチャの 鳩摩羅什の白馬を追悼して4C末 に創建され 以後何度も修復される

鳩摩羅什が経典を担がせていた白馬が敦煌で死んだため 篤信の人々が建てた


高昌故城内   城址は外城、内城、宮城の3つから構成されるが建物の損壊は激しい

高昌故城  高昌国は5C~7Cにかけてトルファン盆地を中心として栄えた 住民はペルシャ系であったが  漢代以来中国からの植民が行われ 漢人が政治を支配したので中国の文化が根付いた  640年に唐は高昌国を滅ぼし直轄領としたが その後ウイグルの支配下になる

高昌故城

7C 玄奘三蔵が説法をしたとされる寺院跡

左の寺院の内部


城内遊覧のロバの車       約1時間        15/8/2011

 

城内の日陰でカシュガルラワープという弦楽器を弾いて生活するウイグル人 

高昌国は5C~7Cにかけトルファン盆地を中心として栄える 7C前半玄奘三蔵はこの地で1か月説法を行う


アスターナ古墳群  高昌国住民と唐代西州住民の地下墓地群  出土品や壁画やミイラも多く残る

地下墳墓入口


交河故城のジオラマ(手前が北)     東西の最大幅約300m 南北1.65km    周辺は30mの断崖

交河故城

城内を南北に貫く全長350mの道 16/8/2011


交河故城   二つの川の交わる高台にある城址遺跡  車師前国・高昌国時代と交河城群が築かれるが 現存するのは唐代以降の都市城址で 版築工法で築かれている     トルファン 新疆ウイグル自治区       中国           16/8/2011                

交河故城   住居区

上部のニッチには仏像がおさまっていた


交河故城       北の寺院地区から南方向を見る

土ばかりの遺跡を見せられて このオアシス

の緑が目に入ると さすがにほっとする

 町は台地の上から30mも掘り下げてこしらえた世界でも珍しい「彫刻都市」

交河故城 トルファン

510012        16/8/2011

火焔山 851m       トルファンとはウイグル語で「低い土地」を意味し 盆地は海抜マイナス154m

砂岩の浸食を受けた赤い波打つ地肌の山は標高約500mで長さ98km続く    16C明代の伝奇小説「西遊記」に出てくる話はあまりに有名ですが 筆者は当地の灼熱地獄の延々と続くこの山を前に想像を巡らしたのでしょうか      510013        16/8/2011   トルファン   新疆ウイグル自治区

西遊記の記念碑

吐峪溝 トユク村   イスラムの聖地でもあり村のモスクが見える


トユク千仏堂の遠望         火焔山の峡谷にあり石窟は約94で3つのみ見学可能    15/8/2011

オアシスから見上げる吐峪溝の展望台


昼食を取った民泊の女将

トユク村の鄙びた村道


ベゼクリク石窟洞  ベゼクルクはウイグル語で「装飾された家」という意味で 火焔山の峡谷に位置する  石窟は6C頃に始まるが現存する70の石窟の多くは10~13Cの西ウイグル王国時代のもので ムスリムの侵攻や清末期の探検隊により一部破壊や持ち去りがあり 現在多くは残っていない            16/8/2011

ベゼクリク千仏洞   ムルツゥク河南岸

カレーズの観光見学 (イランではカナート)

カレーズのジオラマの展示


カレーズの地下トンネル     深さ約10m

干し葡萄をつくるためのレンガの乾燥室

屋根はすべてぶどう棚の「青年蕗」


南疆鉄道 庫車駅に到着 大きな荷物を持って続々とウイグル系の人々が降りてくる

クチャ駅舎

クチャ駅前のバスターミナルの賑わい


クチャ大寺 正門 16C新疆イスラム教依禅派

神秘主義と禁欲主義を唱えた教派

1927年焼失後再建

農貿市場 特にウイグル族ガ集まる市場

狼煙台跡


スバシ故城の遺跡 チェルターグ山南麓に位置する      3C~5Cの仏教寺院跡

スバシ故城   クチャ   この日は霧が出たがこの遺跡には「ラクダ」と「猿」がいるらしい 後方は天山山脈とクチャ川  スバシとはウイグル語で「水源」の意味 玄奘三蔵の「大唐西域記」に出てくる亀茲国最大の仏教寺院跡 AD3Cに最盛期をむかえクチャ川をはさみ西寺区と東寺区に分かれる     510021        18/8/2011 新疆ウイグル自治区

手前側が西寺区 右奥側が東寺区 後方に天山山脈が連なる

上にあがるとクチャ川がよく見えてくるが  少し霧が出ていて写りが悪い

クズルガハ狼煙台  亀茲国の前漢従属時代に狼煙台として使われる  高さ13.5mの土の塔    この地の王女がサソリに刺されて死ぬとの占いがあり 王がこの塔に隔離するも百日目に刺されて死ぬ    クチャ  新疆ウイグル自治区  中国   510022         19/8/2011  

クズルガハ千仏洞遠望 年間平均降雨量80ミリ

のこの地で前日の雨のためここまで

天山山脈の渓谷で見えるヤルダン地形 (風や雨の浸食により堅い岩部が小山や堆積物のように数多くのこる  乾燥地帯 )

中央アジアに多くみられる         18/8/2011


クチャからクズル石窟への途中の風景  天山山脈は中国内だけでも1700kmも続く

総延長3千キロといわれる天山山脈だが  山の向こうはキルギスタン

朝靄のかかるムザルト川

クズル石窟とクマラジュの像   ムザルト川北側の岸壁約2kmにわたって 3C~9Cにかけて造られた石窟が200以上存在する  クマラジュは父はインド人母は亀茲国王女で7歳で出家し北インドや中央アジア諸国をめぐり大乗仏教を学び亀茲国に帰国 のち長安に招かれて「法華経」、「阿弥陀経」、「維摩経」などの訳経事業で多大な功績をのこす  18/8/2011 

パミール高原  タシュクルガンとカシュガルの間 中国側のカラコルムハイウェイはパキスタン側に比べはるかに緩やかだ            10035        21/9/2012        新疆ウイグル自治区  中国

ブルン湖 の砂山                                   22/9/2012   タシュクルガン~カシュガル間   


インダス川     カラコルムハイウェイ  ペシャムとチラスの間

510030        17/9/2012        パキスタン

カラコルムハイウェイ     ジャグロット付近

ハイウェイ「名物」崖崩れに遭遇 このルートで谷に転落したトラックを見つけるのに苦労はしない     通行止めで上流側から調達したマイクロバスに荷物を手渡しリレーする

インダス川の上流 はるか遠くにナンガパルバット (8126m 魔の山の意味) がみえる       

510031        18/9/2012        パキスタン

大陸プレートの境界   ギルギット付近

正面の緑泥片岩の崖がプレート境界の露頭で今も 隆起が続いている 

手前がインド亜プレート側 奥がユーラシアプレート側 左奥の少しみえているのがギルギット川

510033        20/9/2012

ギルギット川のインダス川への合流点

カラコルム山脈・ヒンドゥークシ山脈・ヒマラヤ山脈の接点でもある

カラコルム山脈とヒマラヤ山脈の間を東から西へと流れたインダス川は この辺でナンガパルパッド山を囲う様に大きく南方向へ流れをかえる 

 

ドゥイカルの丘の夜明け     中央はケッペルピーク     19/9/2012   カリマバード      フンザ     パキスタン 

(上の写真左側部望遠)左からチョコタン、ギルギンディール、ゴールデンピーク

(上の写真右側部望遠)フンザ川と右奥 ラカポシ 7788m


(左) フンザピーク6270mとウルタル7388m

著名な世界的登山家 長谷川恒夫氏はウルタルⅡを登山中に雪崩で遭難死する 遺言により基金が設立され カリマバードにメモリアル・スクールが設立されている

レディーフィンガー    この辺の山々は6000m以上でないと名前がないが  この山はあまり高くなくてもその優美さで「貴婦人の指」の名がつく


パスー       この近くのアンバサダーロッジ泊   朝起きると冷気の中この景観が目に入る   20/9/2012

クンジュラブ峠

中国・パキスタン国境 高度4700m イスラマバード~カシュガルまで総延長1300kmのカラコルムハイウェイでの最高度地点    中国側の”関所”は聞きしに勝るひどい扱いでした これから行くかたはせいぜいご注意を                   510034        21/9/2012 

ブアルタール(ホーパル) 氷河

氷河が黒く不気味だ カラコルムとはトルコ語で「黒い砂利」の意味だそうで納得  ディラン(7257m)から出る氷河  フンザ川の支流ナガル川渓谷のホーパル村より撮影  フンザ  パキスタン

510032        19/9/2012

KⅡ 8611m  キャプション関連写真 ウルムチ-イスラマバード  CZ-6007便機内より  16/9/2012                   


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