コパン・ルイナスの町 お昼時の通り ホンジュラス 13/1/2013
コパン彫刻博物館 コパン ホンジュラス
コパンはマヤ遺跡のなかでは最南端に位置
AD426年から約400年に渡り 16人の王により統治された都 コパン ホンジュラス 1/13/2013
コパン彫刻博物館 ホンジュラス
ロサリオ遺跡 (レプリカ) 16号建造物の中から発見された赤色のロサリオ神殿 コパン彫刻博物館
11代王のステラ(石碑)
祭壇Q 上面には初代王による王朝の成立が文字で記され 側面には 歴代16名の王の肖像が 各面4人ずつ刻まれる (16号神殿前)
コンゴウインコ 球戯場の飾り
フクロウ
魚をくわえる水鳥
「ガンコ寿司のオヤジ」
双頭の蛇 コパン彫刻博物館 13/1/2013
13代目 18ウサギ王 (ワシャクラフーン・ウバク・カウィル 702年~738年) コパン王朝の最盛期の王だが キリグアの「嵐の空王」に捕らえられ惨殺されて以降急速に衰退する コパン彫刻博物館
レプリカが置かれる グラン・プラサの案内板
コパン遺跡入口で コンゴウインコの歓迎!
コパン遺跡案内地図 左が北方向 まずアクロポリスと呼ばれる南の神殿群の 右手前の西広場から回ります 13/1/2013
西の広場11号建造物 16代ヤッシュパック王(夜明けの空王~AD820)の住居
階段の左手にマラカスを持つ奇妙な彫刻
西の広場 16号建造物 この下層から 「ロサリオ神殿」が発見された
墓地のグループ 西の広場から東の広場へ繋がるところで 16号建造物の南側にあたる
東の広場 南方向から見ている 正面は木に覆われているが階段上に22号建造物
ジャガーの彫刻 東の広場
中南米の古代オルメカ、マヤ、アステカ、インカ文明の人々は ジャガーを神として崇めた
現地案内図
コパン遺跡の東側にコパン川が迫る
周囲ジャングルのコパン遺跡は コパン川の洪水による浸食被害を何度も受けている
22号建造物の入口 マヤの神々や髑髏の彫刻で飾られる門 マヤ遺跡の石材は石灰岩が一般的ですが ここコパン遺跡では安山岩andesiteが使われているようです
モ刻の模様から 22号建造物の「ゴザの家」と呼ばれ 有力首長が合議をした場所
復元想像図
階段にもコンゴウインコの装飾
基壇部の装飾彫刻
神聖文字の階段 26号建造物 階段には初代ヤシュクックモ王から15代王の即位までの コパン王朝の歴史が2500文字以上で綴られている
球戯場 右側半分(東)が10号建造物 左側半分(西)が9号建造物 手前は神聖文字の階段にかかる覆い 向こうの奥はグラン・プラサ と4号建造物 【 マヤ文明の球戯場】ここでは神々への生贄を決めるPelota「ペロタ」と呼ばれる豊作祈願の儀礼が行われた この球戯場で7人で構成された2ティームが ゴムのボールをあやつり 壁の上部についている輪に入れる競技をする 選手に選ばれることは名誉なことで しかも勝った方のティームのキャプテンが斬首され 天国にいける権利を得たとされる 現代の常識では考えられない
マヤアーチの通路が抜かれる10号建造物正面
グラン・プラサの中心 4号建造物 小ピラミッド
石碑 F と祭壇 Estera F de "18 Conejo"(18ウサギ王)
石碑はジャガーを形ちどった祭壇を前に伴っています コパン ホンジュラス 12/1/2013
グランプラザ コパン遺跡 グランプラザの中央には四方に階段のついたピラミッドがあり 周辺には「18ウサギ王」の7つの石碑と11の祭壇が建てられて 美しい古代彫刻の庭となっている 13/1/2013 コパン ホンジュラス
日本のTV取材もあった日本女性経営の小さなホテル 途中通過 キリグアまで約50km
一路 山道をキリグア遺跡へ モダグア川を渡る
キリグアはマヤ語で「供給地」の意味
キリグア遺跡 グアテマラ 14/1/2013
キリギア遺跡周辺にはバナナ畑が広がる
キリグアはマヤ文明で栄えた諸都市の一つとして存在し (何世紀の間に地震でその川筋を変えた)モタグア川の流域に位置し 交易の拠点であった グアテマラの高地からの黒曜石obsidianや翡翠jadeの交易路にある都市として大変重要であり またここから ホンジュラス湾、ベリーズ、ユカタン半島の諸都市に”供給”した
コパンの統治下でその従属都市としてAD426年頃キリグアはつくられた 724年嵐の空王(カック・ティリュウ)はコパンの18ウサギ王の後見のもと キリグアの王として即位するが 738年18ウサギ王を捕らえ斬首 以後 キリグアはコパンから政治的にも経済的にも独立を勝ち取ったと考えられる
グアテマラ
キリグア遺跡 地図
北にある入口から入ります
左は獣形神zoomorph G 右一番高い石碑E
獣形祭壇 alter O
獣形神 B 780年奉納 右面中央は嵐の空王(カック・ティリュウ)の顔 元は赤く彩色されていた
〈 現代のの祭壇と祈り 古代のマヤ人は多くの面で ツォルキンと呼ばれる聖なる260日暦を 宗教や日常生活に取り入れています 現代においてもマヤ文化の暦は使われていて 何を願うかによって各種の儀式の日付がきまります 祭壇とそこで行われる儀式は神聖なので この儀式に出会ったときは 敬意を払って 写真を撮るときは許可を得てください 〉 旅行中この様な光景を他の遺跡で何度か目にしました
石碑 C 石碑Aと対をなすEstela
石碑 A 775年 嵐の空王(~785)の像
石碑 J 北面 756年
石碑 J 南面 中央の部分には"738年"に"キリグア"の"嵐の空王"が"コパン"の"18ウサギ王"を"斬首"した 下剋上事件の神聖文字が刻まれる
アクロポリスは何年にも渡って造り続けられた 一連の建築群で 居住者は規則をつくり 神聖なところは立入を制限され 儀式が催行された ここでの眺めは キリグア最後の王Jade Heaven 800~810時の部分です
アクロポリス 南の入口階段
キリグア遺跡 グアテマラ 14/1/2013
フローレスへの途中 リオ・ドゥルセに架かる橋から撮影 東にエルゴルフェテの水域を通りカリブ海に注ぐ
リオドルセ川岸のレストラン
フローレス到着 パテンイッツァ湖
ティカル ビシターセンター 入口
遺跡のジオラマ
遺跡出土 彩色の陶器
遺跡出土品 翡翠が使われる
ティカルとは「水の集まるところ」の意味 ティカルには紀元前から人々が住み始めたが 王朝が成立したのはAD100年頃から 以後890年まで33人の王たちによって巨大都市が建設されるが その間6世紀には戦いで敗北しティオティワカンの侵略を受ける 130年間の暗黒時代を経験する その後 7世紀に復興し 9世紀までマヤ文明の拠点となりました 10~11世紀には衰退が始まり 次第にジャングルに埋没していきます 時を経て1696年スペイン人宣教師アンドレス・アバンダーニョとその一行が フローレスの先住民のイッツァ族に追われて逃げた密林の中で 偶然この遺跡を発見したらしい
コンプレッホ (複合体) Q の東がわのピラミッド ( コンプレッホ は東西に1対のピラミッドと北に石碑南に小建造物の4つの糧もので構成されている 7C初頭ティカルで初めて行われた様式)
4号神殿の急の勾配の階段 741年
4号神殿中腹ヨリ東方向 左奥からⅠ・Ⅱ・Ⅲ号神殿
多くの遺跡はジャングルの中 Ⅳ号神殿高さ70m
コンプレッホ N ピラミッド49 タルー・タブレロ神殿 (メキシコのティオティワカン様式) ティカルで最も古い地区 コナンドイルの小説から「失われた世界」Mundo Perdidoと名づけられるエリアにある
「失われた世界」の大ピラミッド54 高さ34m 600年頃の建造 ティオティワカンの影響を受ける
ジャングルの隙間からのぞく修復中の
3号神殿 「ジャガー神官の神殿」
54ピラミッドの東側の建造物
5号神殿
1号神殿 「大ジャガーの神殿」 グランプラザより撮影 手前に6C王のステラが見えています ティカル遺跡には7つの主神殿(ピラミッド)があり プロポーションからは1号神殿が最も美しい ティカル グアテマラ 15/1/2013
2号神殿 700年頃 建造 グランプラサ1号神殿の反対側にある 基壇は3層 飾り屋根のすばらしい顔の浮彫から「仮面の神殿」とも呼ばれる
ノースアクロポリス ティカル遺跡 マヤ文明の代表的な遺跡 このノースアクロポリスで「嵐の空王」の遺骨が発見される ジャングルの中のティカル国立公園は文化遺産と自然遺産の複合遺産 2012年日本の協力で当地に「ティカル保存研究センター」が完成 15/1/2013 ティカル グアテマラ
7つの神殿の広場
セントラル・アクロポリスから見る 2号神殿 と グラン・プラサ
1号神殿 と南側の 球戯場
中庭2から見るセントラル・アクロポリス と 一際高い 1号神殿
遺跡のレストランにやって来た ハナグマ
七面鳥のなかま
十字架の丘 アンティグアの町を一望 正面はアグア火山 3772m 形も高さも富士山そっくり
まさに「グアテマラ富士」 16/1/2013
マヤの伝統的織物の博物館 & 実演販売 16/1/2013
月と機織りの女神
時計台のある通り 暦年が掲げられる
市庁舎 中に博物館も設置される
地震崩壊後は遺跡公園 カプチナス修道院跡
噴水のあるパティオ
修道女の個室僧房
「借景」的な庭園 山中腹に十字架の丘
アンティグアの中央公園 市街地の中心にある 16/1/2013
地震崩壊前のカテドラル 平面図
不鮮明ですが 往時のカテドラル風景と思われます
地震でカテドラルのドームが落ちた部分
廃墟部のカテドラル
廃墟部のカテドラル
守護聖人サンチャゴを祀る 1545年建設始まる 1658年最初の聖堂が取壊される 1669~80年 新大聖堂の建設 1773年地震による崩壊
新しい(現在の)カテドラルのファサード
アンティグア
昼食のレストラン
この町最大の民芸品&土産物店
ラ・メルセー教会 1548年創建 地震による崩壊と再建を繰り返している 18・19C再建 黄色い壁に白い漆喰の印象的な装飾は メキシコのプエブラから来た職人による スペインバロック様式
バルトロメ・デ・ラス・カサスの像 コロンブスやコンキスタドールのピサロ 、コルテスは有名だが ほぼ同時代の歴史の舞台で影響を与え 自らも奴隷のインディオを使役して農場を経営したが セビリアに戻り司祭に叙階される しかしスペイン軍の残虐行為やエンコミエンダ制に矛盾を感じ 改心してスペイン王室(カール5世)に直訴して 現地で改 善活動を起こすも反対にあい ドミニコ会修道院にかくまわれて神学研究に専念 現在もインディオ解放の神学者として高く評価されている
台座の銘文
ラ・メルセー教会は
アンティグアで最初のドミニコ修道会の教会
中米一の大きさの噴水 メルセー教会 アンティグア 16/1/2013
カミナルフユとは先祖(死者)の丘という意味
カミナルフユ遺跡 グアテマラシティー
古代都市 カミナルフユ遺跡が栄えたのはBC4CからAD6Cにかけてだが メキシコ中央高原のティオティワカン(BC2C~AD6C)に征服された時期もありタルー・タブレロ様式も残る 最終的には11C頃崩壊した ここのピラミッドはモンゴイ(土の山)と呼ばれ 粘土層の土を幾層にも積み重ねて造られ マヤ独特のアーチも土製 遺跡内には土の宮殿と思われる廃墟が保存されていて「土のマヤ」とも言われる 16/1/2013
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カミナルフユ遺跡 案内図
メトロポリタン カテドラル 首都グアテマラシティー グアテマラ 17/1/2013
国立考古学民族博物館 マヤ遺跡各地の展示多数
マヤの絵文書
石碑11 マヤの王最古の石碑(AD200年頃)
カミナルフユ遺跡出土
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ティカル出土 翡翠の仮面
民族衣装
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