ファマグスタ門 城壁門の一つ 15~16Cヴェネチア時代 ニコシア キプロス
16Cのヴェネチア時代の城壁
聖ヨハネ教会 左奥にビザンチン美術館
ビザンチン美術館 イコンの展示 中撮影禁止
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自由の記念像
水道橋跡 18C オスマントルコ時代
大統領官邸 マカリオス3世像 ( 1948年ギリシャ正教大主教 1960年キプロス独立時の初代大統領 )
キプロス考古学博物館 ニコシア キプロス 9/2/2015
BC11C頃 黄金の王笏の上に球体と 白と青の七宝が施された2羽のファルコン像
ポモスの神像 同形のネックレスが刻まれる BC3000年頃のポモス神の十字形土偶 キプロス ユーロコインの片面に刻まれる
BC14C ミケーネ時代 戦車場面や蛸の絵で装飾されている エンコミ出土
AD3C 眠るエロス像 大理石 ネオパトス
BC1C アフロディーテ 大理石像
首都ニコシアの繁華街 ギリシャ人の多い地区
国連が管理するグリーンライン南側の検問所
城壁内の旧市街の中をグリーンラインが通る
ニコシア北側のトルコ系住民の多い地区 南に比べ店舗も洗練されてなくどことなく暗い
旧アヤソフィア大聖堂 現在セリシエモスク トルコ系住民側
旧アヤソフィア大聖堂 ニコシア キプロス
アシヌ教会 12C初め建立のビザンチン教会 キプロス島中央部の高地 ニキタリ村 トロードス地方
ポディトゥ教会 16C ガラタ村 トロードス地方 キプロス
聖ニクラウス教会 11C建立 石壁にこけら葺きの切妻屋根 別名「屋根の聖堂」
周辺ではアーモンドの花が満開 10/2/2015
コロッシ城 12cリチャード1世王はキプロス攻略後 ルジニャン家に領地を売却 ルジニャンはヨハネ騎士団に譲渡 城は13C創建され アッコン陥落(1291年)後 十字軍の前線基地となる フランスの王位継承紛争でテンプル騎士団が対立するもフィリップ4世により1312年廃絶されるなか 1310年 ヨハネ騎士団はロードス島をビザンチン帝国より奪取し 主力はキプロスからロードスに移転 コロッシ城はコンスタンチノープル陥落後1454年に改築され現在の姿になる 城は三階構造で出入り口は二階で跳ね橋がかかっていた 一階は倉庫二階は兵士の寝室と台所 三階は司令官の部屋 窓が少なくキュービック形で 本格的な城ではないが実践的なもの 1530年 ヨハネ騎士団はロードス島陥落後マルタ島に移る 12 /2/2015 キプロス
コロッシ城 上からの展望
二階入口内側より
城壁内にもキリスト受難のミューラル
壁に残る フランスの紋章 フルール・ド・リス
クリオンのローマ遺跡 もともとはアカイア人の入植地として発展した
リマソル
アポロン神殿遺跡 リマソル
アポロン神殿 柱頭飾りはナバティア様式 リマソル
この辺によく生えるている イナゴ豆の木
この豆(カロブ)が「カラット」の語源といわれる
パレパフォス博物館
聖なる石(アフロディーテの石) 子が授かるという パレパフォス博物館
AD3C レダと白鳥のモザイク 画 (博物館展示)
パレパフォス博物館 中庭
アフロディーテ神殿跡 建物は残っていない イメージを働かすのみ パレパフォス
アフロディーテ神殿遺跡 周辺の風景 パレパフォス キプロス
デュオニュソスの館 赤子のデュオニュソスを抱くヘルメス パフォス(カト・パフォス) はBC2C~AD4Cまでキプロスの都であった 作品の テーマによってはチュニジアのバルドーに負けないものもあると思う
アポロンとダフネ パフォスのモザイク
イカリオスと酔っ払い
ポセイドンとアンピトリエ
ペトゥラトゥロミウ海岸 パフォス ペトゥラトゥロミウは「ギリシャの岩」の意味 ギリシャ神話ではアフロディーテ誕生の地とされる 地名パフォスはキプロスの王(彫刻家)ピグマリオンとガラティエの息子パポスに由来 パフォスにはアフロディーテ神殿跡がわずかにのこる 11/2/2015 キプロス
ペトゥラトゥロミウ海岸
アフロディーテの岩
パフォス城 ビザンチン時代の砦が何度も再建され現在のものは16Cにオスマントルコが建てた物
パフォス の港 キプロス 11/2/2015
パフォス城内
城内配置図
パフォス港
ネオフィトス修道院
ネオフィトス修道院
洞窟内のフレスコ画
キロキティア遺跡 周辺
キロキティア遺跡 BC7000
キロキティア遺跡の斜面
BC7000年頃の住居跡 円形住居のレプリカ
ソルト湖のフラミンゴ ラルナカ空港近く 12/2/2015
「青の洞門」観光船岸壁に祀られたマリア像
青の洞門 マルタ島 12/2/2015
イムジーナのメインゲート
イムジーナはアラビア語で「城壁の町」の意味でかつての首都であった BC8C頃フェニキア人により要塞化され のちにローマの支配を受けメリタと呼ばれる 9Cにシチリアのアラブ人が来てラバトから切り離し 広い堀と厚い城壁の城塞が築かれ イムジーナと呼ばれる 11Cにノルマン人がマルタを征服する 16Cのオスマン帝国とのマルタ包囲戦では聖ヨハネ騎士団がイムジーナを守り抜く 現在のバロック様式のゲートは1724年に騎士団長ヴィレーナにより造られる 現在は「静寂の町」と呼ばれ マルタ共和国 12/2/2015
城壁内はマルタストーンの館が並ぶ
イムジーナ大聖堂 17C マルタ人建築家ガッファの建造 バロック様式の2つの鐘楼のファサード 12/2/2015
イムジーナ大聖堂 中央祭壇 マルタ島
バスチャン・スクエア ( 堡塁の上の広場)
ゴゾ島 フェリーターミナル イムジャール
ゴゾ島 ヴィクトリア(旧称 ラバト)の通り
ゴゾ大聖堂 ロレンツォ・ガッファ設計 1711年完成
ヴィクトリア (旧称ラバト) ゴゾ島
サン・ミケーレ堡塁より タ・ピーヌ聖堂
ゴゾ島 シタデル サン・ミケーレ堡塁(bastion) より
ドームの予定であった上部は資金難のため
遠近法を駆使した騙し絵になった 聖堂内部
イタリア人 アントニオ・マニエルによって描かれた騙し絵部
アズール・ウィンド 「紺碧の窓」という意味 ゴゾ島 240032
騎士団の洗濯場跡
フンガスロックと見張り台 ゴゾ島の ドゥエイラ湾にあり一面マルタストーンの海岸です
ファンガス・タウリタニスという薬草になるコケ類が自生していたのでこの名前が付きました
見張り台は海賊やオスマンへの警戒のためでした 13/2/2015 ゴゾ島 マルタ共和国
(上) ラムラ湾 サンディービーチ
(右) カリプソの洞窟
ホメロスの叙事詩「オデュッセウス」で妖精「カリプソ」が英雄オデュッセウスを7年間愛の虜ににして閉じ込めたという洞窟 カリプソはオデュッセウスにここに留まるなら永遠の命を約束したがオデュッセウスは妻ペネローペのもとにもどったという
下に降りる梯子があったが今は立ち入り禁止 ゴゾ島
カリプソ伝説の残る洞窟
ジュガンティーヤ神殿 と後方 タピーヌ聖堂 ゴゾ島
サンゴ質の石灰岩でできた巨石神殿
巨人女性サンスーナがこしらえたと言われる
サンスーナの「爪痕」
バレッタ グランドハーバー 対岸にスリーシティーズ アッパー・バラッカ・ガーデンより撮影
1530年 リラダン率いる聖ヨハネ騎士団が入島
1557年 ラ・バレッテが騎士団長に就任 本拠地はビルグ のちマルタの城塞群を完成させる
1565年 大包囲(グレートシーズ)の主戦場となる ロードス島もいかなくては! 4/2/2015
シベラス半島の先端には聖エルモ砦 15/2/2015
右は大包囲戦勝利の後に 造られたバレッタ
ビルグ要塞のサン・アンジェロ砦(左) と サングレア要塞のサン・ミカエル砦 (右) バレッタ
スリーシティーズはビルグ(ビクトリオーズ)・コスピークア・サングレアの三つの要塞からなる
1571年に対岸シベラス半島のバレッタに本拠が移るまで聖ヨハネ騎士団の拠点であった
「大包囲戦」のときには2つ要塞の間に兵士移動のための木橋がかけられた
セント・エルモ砦 から対岸のリカゾーリ岬
トルコ軍による「大包囲」の絵 中央シベラス半島最初に聖エルモ砦が攻撃目標となり陥落する
通りの横道から対岸にビルグの聖アンジェロ砦
イタリア騎士団宿舎 現在観光省庁舎 バレッタ
ヨハネ大聖堂 1577年建立 歴代 騎士団長は就任時にこのバルコニーから挨拶をした
天井には聖ヨハネの生涯などが石灰岩の上に油絵で直接描かれる
騎士団長の宮殿 廊下
9月8日はマリア生誕の日と戦勝記念日である
中央祭壇前の身廊は幅15m長さ57m高さ19m 大理石の床一面に約400の墓碑が敷き詰められている 豪華な装飾の柱の外側には 騎士団に参加した8ヵ国のそれぞれの礼拝堂が並ぶ
マダムバタフライなのでしょうか
これからお祭り衣装でお母さんと練り歩く!
マーチャント通りの カーニバルの人出
佳境に入ったカーニバルのメインステージ
衣装も鮮やかなチームダンス
マルタのカーニバル 2月は島中でカーニバルがあり中心はやはりバレッタです この時期まだ夜は冷え込みますがマーチングバンドや大きなフロートも出て熱気でいっぱいです バレッタ 14/2/2015
マルサシュロクとルッツ 「シロッコの吹く港」という意味 ルッツはマルタの伝統的な漁船 バウに見える目玉はオシリスの目といわれ 魔除けとして描かれている マルタ島最大の漁港で日曜は市場に屋台もくりだし観光客でごったがえす 初戦のオスマン軍もナポレオン軍もここから上陸した 240035 25/2/2015 マルタ共和国
市場の風景 マルサシュロック マルタ 16/2/2015
マルタ周辺の海水はクリーンでプランクトンが少なく 大きな魚類がいないらしい 島民も魚を食べるのは週に1~2回程度というから驚きです