ラパス近郊エル・アルト上空 雪を頂く東アンデスのイリマニ山(6439m アイマラ語で黄金コンドルの意味)が見えます ボリビアは周りを5ヵ国に囲まれ 東 西のアンデス山脈の間にはさまれる「アルチプラーノ」高原の国です 人口は約1000万人ですが国土面積はペルーとほぼ同じで 日本の約3倍 人種はインディオが55% メスティソが32%位で南米のなかでも先住民の多い国です エル・アルトはラパスと並び人口約100万で 標高4150mの世界一高所の町で新市街として現在建築ラッシュが続いています
エル・アルト空港 ボリビアの玄関 15/1/2017
エル・アルトの町
ラハ LAJA の峠から北方向に東アンデス山脈を見る (ラハはかってのラパスの中心であった) 左奥の地平線は僅かにチチカカ湖に接している 冷たい風が顔を洗い目が覚める 峠を下ればティワナク遺跡までもう少し 15/1/2017
アンデスの山並みと麓の村 牧草地が多く牛が放牧されている
ボリビア国旗が翻るティワナク遺跡 海抜3870m
チチカカ湖沿岸までは約17km
遺跡北側 週に一度やってくる列車の線路 なんとものどかです
ティワナク博物館内 遺跡ジオラマ
動物のレリーフも多かったが 天界はコンドル・地上界はジャガー・地中界はヘビをシンボルとして
崇めている ティワナク 16/1/2017
ティワナク遺跡(又はティワナコ遺跡)
現地案内図 (※ 下が北方向)
左肘のシールドに はジャガーの絵
ティワナク遺跡はプレインカ期の遺跡(最盛期8C ~11C)
主要構造物には砂岩・安山岩・黒色玄武岩が使われている 想像図 博物館内
アカパナのピラミッド (7段の基壇からなる) 階段部
アカパナ 頂上部より東側は大きく掘られている
アカパナの丘から西方向の眺め ティワナクの村が見える
聖ペドロ 教会 ティワナクの村
カラササーヤ
カラササーヤの周囲壁面
アンデスの平原に咲くアザミ
カラササーヤの壁は大きな割石を等間隔で立てて その間を切り石でつなぐ形で造られているが 大部分が1970年の修復によるものです
周辺の公共建築物や住居の一部には ここから持ち出された石材も使われているようです
半地下神殿よりカラササーヤを見る
(下)半地下神殿と(上)カラササーヤ東側の門
半地下神殿中央の コンチキ神像のモノリス
半地下神殿の壁面に埋め込まれた顔の像
カラササーヤの東側の門 中にはポンセのモノリス
が覗いている
モノリスは古典ギリシャ語のmonos「唯一の」とlithos「石」の複合語monolithosに由来し 考古学的に 建築物や遺跡の中に配置された巨大な一枚の石造物を指して言われる
ステラ(石碑)もこのひとつでしょうか
モノリスに付されたポンセやエルフライレは発見者の名前です
エル・フライレのモノリス 右手の指が外側にそっくりかえっているのと涙を流しているのがモノリートの特徴といわれる カラササーヤ ティワナク遺跡 ボリビア
ポンセのモノリス
太陽の門( プエルタ デル ソル ) 門の上部にはビラコチャ神とそれを囲む48の鳥人が刻まれる
ムリーリョ広場 ラパスの中心部 正面は国会議事堂 中央にはボリビア独立の英雄ムリーリョの像
憲法上の首都はスクレだがラパスが事実上の首都 インカ帝国はコンキスタドール フランシスコ・ピサロにより征服され スペイン王カルロス1世支配のもと 統治はペドロ・デ・ラ・ガスカに委任された ペルー征服の記念に メンドーサがその命を受け1548年ラパスを建設(今のラハ) 太平洋岸の副王領の主都リマとアルト・ペルー南部(現在はボリビア)の鉱山との中継を目的とした 当時の名称「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・パス」(我らが平和の母の街)がラパスの由来 18Cには反政府運動がおこり19Cにはスペインからの独立を求めラパス革命が始まる この広場でムリーリョ は処刑された
正面奥はネオクラッシク様式の大統領官邸 19C建設 ムリーリョ広場 ラパス
広場で楽しんでいる人も こちらのカメラに気づき 写真を撮られたくない人は うつむいたり横を向いたりしている 写真に魂を抜かれると思っているみたいだ まだ怒ってこないから よしとしなければ・・・ こんな写真もめずらしい! ムリーリョ広場
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スペインバロック様式のカテドラル
テレフェリコ ボリビアのラパス中心と近郊をroja・amarillo・verdeの3路線で結ぶ 延べ約10kmのロープウェイ です 交通渋滞解消の目的で建設され1時間当たり各路線3000人の輸送能力がある(10人乗り オーストリア製) 世界一高いところを走り都市交通としては世界最長のロープウェイ 現在まだ拡張中
観光用ではなく市民の足として使われる
ゴンドラが数珠つなぎでやって来る
キュービックな建物が影の相乗効果で美しい
アルジェリアのムサブの谷を思い浮かべる
ラパスは標高3650mのすり鉢状の都市です これはパノラマ撮影なので平面的に見えています
制服がよく似合うチャーミングな警備員
イリマニ山 6439mがみえます(東アンデス)
西アンデスには6千m級峰が別に3座あります
左は1930年建造の時計塔のある旧駅舎 右はテレフェリコのターミナル 交通システムとして 時代の変遷を感じる対照的な建物です 旧駅舎は文化センターとして改築予定 プラプラ ラパス
月の谷 約10万年前の氷河 湖の底に溜まってできた堆積岩が 浸食・風食されこの奇岩地形ができる 周辺は住宅開発が迫り安全と景観保護の面でも問題がありそうです ラパス
1969年に月面着陸のアームストロング船長がここに来て「月面みたいだ」と言った事からこの名前が着く
民族衣装でこの岩場に立ちフォルクローレのケーナ演奏を聴かせてくれる
道端に「賽銭箱」が置いてあるのでお忘れなく!
月の谷 ラパス ボリビア 16/1/2017
列車の墓場 ウユニ ボリビア 17/1/2017
かってウユニからチリのアントファガスタへ塩や鉱物を運んだSLの車両が放置されている
SLの鉄の赤錆はどこにあっても哀愁を呼ぶ
サウジのヒジャズ鉄道もこれ程は残っていなかった
フィンチ系の野鳥 腹が黄緑色
ヴィクーニャは米大陸で進化した動物で 3700~5000mの高地の草原で10頭前後の群れを作って生活する 肉と体毛のために乱獲されたが 現在生息数がすこし回復に向かっている
ヴィクーニャ アルパカ、リャマ、グアナコと共に ラクダ科に分類される
ウユニのコルチャニ村に向かう
palacio de sal ウユニ湖畔の塩のホテルに到着
ホテルのエントランス
テラスからの眺め
ホテルのインテリアには塩がふんだんに工夫して使われている
フロアーにはマーラの木が使われる 1998年オープン
ウユニ湖観光の足は4WD車 全て日本車 広い湖ですが この中にもある程度コースがあるようです 広さ120km×100km 海抜3,760m 酸素は平地の約2/3 まだ少しアルティチュードシックネスです
湖から眺める トゥヌパ火山(5432m) ウユニ塩湖の北側に半島状に突き出している休火山
湖に塩の結晶ができ始めると不規則なヘキサゴン(六角形)が水面に表れます
ダカールラリー2017は パラグアイのアスンシオンを出発して ラパスを経由して ブエノスアイレスをめざす 全長10000kmの究極の耐久レースです これはそのための塩でこしらえたモニュメント
後方のプラヤブランカはここで最初にできた塩のホテルでしたが 環境問題で閉店を余儀なくされ 現在は博物館兼レストランになっています 後方はブランプラヤ ウユニ
船の様に「航跡」を引きながらゆっくりと進む4WD
プラヤブランカのレストラン 国際色豊!
外にはたくさんの国旗が並ぶ
ウユニ湖の日の出 風が無く まさに鏡面です
朝焼けが湖面にも映り込み まさに上下のブックマッチです
快晴のウユニ塩湖 空と湖の境目がわからないくらいです
雲の出方はさまざまなのでロールシャハテストができそうです
ピクニックランチの準備が始まる
ドライバーは全員がポトシの出身 英語はさっぱり! だが チームワークは抜群 !
夕焼けに染まるウユニ塩湖
夕陽が微風を湖面に描きます
掘り出した塩のブロックが積まれている 世界最大の塩湖
海底が隆起して乾燥がすすみ塩湖ができたというのが定説 最近 アンデスの火山岩の含むナトリウムと火山ガスの塩素が化合してさらに塩が増成されたという設も出ている
これは交易用・家畜用の塩のブロック を切り出している場所
今日は休みだが 一人で1日150個ぐらいを切り出す
赤茶色は周辺から飛んできた
土埃りの堆積
昔し使われていたボンネットバスが オブジェとして置かれる
製塩業の町 コルチャニ
精製された塩の袋詰 計りはない !
ウユニの町 毎木曜はイヴェントでにぎわう
ここにも塩で作った ダカールラリーのモニュメント
再び ラパス サン・フランシスコ教会1549年創建 17C再建 と教会前の広場 ラパスで最もにぎあう広場
肉を焼く 露天商の夫婦
サン・フランシスコ教会前の広場
ミクロと呼ばれる乗り合いバス
アンデスグッズの店でひしめく
サガルナガ通りから見えるサン・フランシスコ教会のドーム
サンポーニャ や チャランゴ などの楽器演奏
ペーニャ「ウアリ」 で見たフォルクローレショー
カラフルですがけばけばしい色に悪酔いしそうです
ライトアップが映えるサン・フランシスコ教会と登り坂の サガルナガ通りの夜景 ラパス ボリビア 19/1/2017