ドナウ川の流れるブダペスト    左側(西 ブダ地区)に王宮 右側(東 ペスト地区)国会議事堂 手前中央は鎖橋が架かり  奥(北)には中島のマルギット島と橋 ブダは「王宮」ペストは「かまど」の意味  ゲレールトの丘より撮影   29/12/2001

ゲレールト温泉 ホテルの宿泊客は無料だが外来客も有料で入れる 1917年アールヌーボー様式で建てられる

ゲレールトの丘  11C 初代国王イシトヴァーンがキリスト教布教の為にイタリアから伝道師ゲッレールトを招くが 異教徒に手押し車に縛られ ドナウ川に突き落とされ殉死    ハンガリーの聖人となる


ブダ王宮  アール・ヌーボー調の扉 

建国の父アルパード(9C末)は紋章になっている伝説の鳥トゥルルから生まれたとされる 

漁夫の砦   1903年建国千年祭にネオ・ロマネスク様式で建てられる 中世ドナウ川で漁をする

漁夫のギルドがあったことに因む   ハンガリー



チェスキークルムロフ     ヴルタヴァ川に囲まれ 中世の城と町並みがボヘミアの自然の中に残る    チェスキーとは「チェコの」という意味(モラヴスキークルムロフと区別) クルムロフとは「曲がった川に囲まれた湿地帯」の意味でこのロケーションそのままの地名です          2/1/2002    チェコ             

 クルムロフ城 13C創建 ボヘミア地方ではプラハ城に次ぐ規模                       2/1/2002   チェコ   

ホルニー通り  外壁のおうとつはだまし絵


ブラーシュチョヴィー橋  もともとは谷に架かる木造のはね橋であったが何度も架け替えられ三層構造の今の姿になる        2/1/2002   チェスキー・クルムロフ    チェコ

カレルシュタイン城    神聖ローマ帝国皇帝カール4C(ボヘミア王カレル1世)が14Cゴシック様式で築城  王室の宝物庫として築くが 歴代王の離宮としても使われる       チェコ

 


プラハ城  プラハは9C末プジェミスル王朝によりボヘミアの中心地となる 14Cカレル1世により築かれる


聖ゲオルギ教会  ソフィア

丸屋根の円形教会(ロトンダ)   4C末コンスタンチヌス帝の治世下で建立される

6C末再建され内部の壁・天井のフレスコ画は10C~16Cのものである

周囲には浴場などの古代ローマ遺跡がある

230013        16/10/2013        ブルガリア

リラの僧院

リラ山脈北西、海抜1147mに位置しリラ川の深い低地にある 

ブルガリア正教会の総本山で イヴァン・リルスキ僧により10Cに創建され

14Cと19Cに再建されている  オスマン帝国時代も僧院の信仰は黙認される

230011        17/10/2013        ブルガリア

ヴェリコタルノヴォ

この町はヤントラ川沿いにひろがり第二次ブルガリア帝国(1185年~1396年)の首都であった

旧市街には中世のおもかげを残す職人街があり金細工、陶器、革製品、木彫りの民芸店などが並んでいます


230014      18/10/2013   ブルガリア 


シギショアラの町    時計塔のバルコニーより

12Cハンガリー王国が辺境防衛にドイツの職人と商人(トランシルヴァニア・ザクセン人)を入植させる       ギルド制がしかれ14Cに自治都市となる 

ルーマニアの7つの要塞都市の1つで 中世ドイツの建築様式がのこる

230016     トランシルヴァニア地方   20/10/2013        ルーマニア

シギショアラ  民衆の広場より時計塔をみる     残念ながら仕掛け時計は動いていない

奥の黄色の建物がブラド3世(吸血鬼のモデルで串刺公ともいわれる)の生家  

15Cにワラキア公ブラド・ドラクルの息子ブラド・ツェペシュとして生まれる

230017        20/10/2013

聖ニコラエ聖堂

13Cにゴシック様式で建立され後に

バロック様式に直される

ルーマニア正教

 ブラショフ

230018        19/10/2013

ブラショフで出会った結婚式

新郎新婦にまけず付き添いの

友人たちもきまっています

 

 ブラショフ  トランシルヴァニア地方

 ルーマニア

230019        19/10/2013


乙女の塔  バクー カスピ海のクルーズ船より撮影  モンゴル人の王が自分の娘にいいより娘は塔より身を投げたという伝説がある   紀元前後にはアゼルバイジャン人の祖先とみられるアルバニア人の国家(カフカス・アルバニア王国)がつくられていた 7Cアラブの支配下に入った後 セルジュク朝期にバクーは12Cに城壁が造られ 15C地元のシルヴァン王朝の首都となるがその後   サファビー朝・オスマン帝国・ロシア帝国と支配を受ける   230038        14/9/2014        アゼルバイジャン

城壁は既に築かれています  シルヴァン朝時代のバクーの想像図でしょうか  中央に乙女の塔が描かれています  国立博物館内画

バクーの都市とカスピ海       1991年旧ソヴィエト連邦より独立 アリエフ政権による一党独裁世襲政治が続くが バクー油田などの天然資源にめぐまれインフラ整備を中心にめざましい経済成長をしている  15/9/2014


フレームタワー  バクー 旧市街シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿より撮影 城塞は12Cに 宮殿は15Cに建設される   後方に「火の国」を象徴する近代的建築のフレームタワー      230039   14/9/2014

 フレームタワー 夜景  

 ペルシャ語で「風の町」の意味の首都バクーは今建設ラッシュの風も吹きまくっている

      アゼルバイジャン          230040 14/9/2014  


コブスタン遺跡     1万年前には既に人が居住していて約5000年前に砂漠化したと考えられる   バクー   アゼルバイジャン

岩絵 狩りの前の高揚の踊り ?

近くにあるローマ時代の石碑

ドミティヌス・セザール・アウグストゥス・ゲルマニウス が刻まれる    AD1C


バクーの拝火教寺院   1713年建設     15/9/2014

アーチの上のゾロアスター教の象徴的レリーフ(拡大)

左から善神アフラマズダ 炎(に祈る意味) 暗黒の神アングラマイニュ  下中央のスバスティカは輪廻をあらわすと聞いた


マルダキャン要塞跡  シルヴァン朝時代モンゴルの襲来に備えて1187年建てられる 

ヤナルダグ  天然ガスが約3000年前より燃え続けている  ゾロアスター教の聖地の一つ



スヴェティツホヴェリ教会  ムツヘタはBC4~AD5Cまでイベリア王国の都として栄える グルジアで古くから最も大事な教会の一つで グルジア正教の総主教座であり 何世紀にも渡りグルジア王の戴冠式と埋葬地として使われてきた     16/9/2014        ムツヘタ      ジョージア

 この地のユダヤ人エリアスがエルサレムに行き キリストの聖遺物の外衣を持ち帰り 妹のシドニアがそれを手に取り感激のあまり死に  聖遺物とともに埋葬され 後にそこに生えてきた杉の木で教会を建てようとすると そのうちの一本が浮かび上がり  聖女ニノが祈ると 木から聖油が溢れ出したという伝説が残っている

スヴェティツホヴェリとは「生きている柱」という意味  

  聖女ニノは手にブドウの木の十字架を持っている女性

ジュワリ教会  麓のスヴェティツホヴェリ教会より見上げる

グダウリ ロシアの軍事戦略のために1863年に完成した軍用道路(ウラジカフカス~トビリシ間210km)

十字架の峠

ロッジ風のダイニング     グダウリのホテル

(左)十字架の峠 

軍用道路の最高地点 2395m

キリスト教のカヘチア王国がイスラム教国のオセチアとの境界を示すために11Cに最初の十字架が建てられたといわれています


ロシア・ジョージア友好記念碑                  グダウリ     ジョージア                     17/9/2014

ツミンダ・サメバ教会    東斜面より撮影  クヴェミ・ムタ山の(2170m)頂に立つ孤高の教会 南のダリアル峡谷にはカズベキ村があり 北には見上げるとカズベキ山(5033m)がそびえる    カズベキ山はギリシャ神話でプロメテウスが磔になったところ                                   230041   17/9/2014      ジョージア

 ツミンダ・サメバ教会     14Cの教会 ツミンダ・サメバとはグルジア語で「至聖三者」の意味(西方教会でいう聖三位一体)  右後方はクラ山3900m                                         17/9/2014   グルジア

眼下にカズベキ村

苦しいが後方ごくわずかにカズベキ山 5047m

 


アナヌリ教会 17C建立 要塞の役割も果たす

山側のイエスに捧げた教会  

アナヌリ教会 湖畔側のマリアに捧げた教会


トビリシ   ソロラキの丘の上にはナリカラ要塞  6Cイヴェリア王国が北のムツヘタから遷都して以来幾多の王朝がこの地に都を置く 12~13Cにグルジアを統一したパグラト王朝ができるも その後イランやロシアの支配を受ける 今や主にグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンの3民族が共存する人口約140万の多民族都市となる                                    17/9/2014  ジョージア                      

ムトゥクヴァリ川(上カラ左)とアラグヴィ川(右カラ左)が合流する場所に位置    ムツヘタの町  17/9/2014  

ジュワリ教会 4C 聖ニノがブドウの木で作った十字架を建てる 6C その場所に教会を建てる タンパンには両側から天使が十字架を捧げるレリーフ  ジュワリとは十字架の意味

聖ニノゆかりの木製の十字架が建つドーム下の身廊


メテヒ教会とムトゥクヴァリ川(クラ川・キュル川) 5Cに創建のメテヒ教会は 13Cモンゴルに破壊される  後再建されロシア帝政時代は監獄として使用され 作家ゴーリキーが幽閉されている 左にはトビリシ遷都1500年を記念して「ワタフタング・ゴルガサリ」(イヴェリア国王)の騎馬像が1958年建てられいる 

メテヒ(聖母)教会

19Cのトビリシ(報道画家ウィリアム・シンプソン卿作)


シオニ教会 トビリシの総主教(司教:カトリコス 職位)座13C建設

シナゴーク  1904年建設トビリシ約4千人のユダヤ人


カルトゥリス・デダ  ジョージアの母の像

これもトビリシの町が拓かれて1500年を記念してソ連時代に建てられる 左手にワインの杯を右手に剣を持っている 客にはワインで歓迎し敵には剣で敢然と立ち向かう意志を象徴する 

 

 

 

タマダの像 西ジョージアで発見されたBC7Cの

「宴会の幹事=タマダ」像に由来する  (コピー) 


左は200年の歴史あるハマム(公衆浴場)アバノトウバニ   トビリシとは「暖かい泉」の意味で発祥の地 右はモスク風のオルベリアニ浴場が見える 

アヴラバリ地区旧市街のメインストリート


ゴルガサリ広場で賭けゲームに興ずる市民

映画のロケに出くわした 衣装からして現代劇ではないようです



ハフパト修道院 

ハフパトとは「強い壁」という意味だが まさにこの石(玄武岩)づくりは要塞だ 991年当時のホスロヴァヌーシュ女王が二人の息子のために建てる 主な建築物 聖ニシャン聖堂、聖グレゴル教会と聖十字架教会  古くはペルシャやアラブから、1105年にはセルジュク朝の攻撃をうける

230047        18/9/2014        アルメリア

サナヒン修道院   

サナヒンとは「あちら(ハフパト)より古い」という意味 996年創建 10C~19Cまでこの地方

の主教座が置かれる  神学校もあり最盛期の11Cには中世アルメリアの学芸の中心地として栄える

 

 

 

 

 

 

 230048   18/9/2014   ロリ地方 アルメリア    

 

セヴァン湖とセヴァン修道院

淡水湖で琵琶湖の約二倍の大きさ 「カフカスの真珠」と呼ばれ トルコにあるヴァン湖に対して「黒いヴァン湖」の意味で移住したアルメニア人が命名 過っては島であったがソ連時代周辺のダム工事で水位が下がり半島になる セヴァン修道院は9C創建17再建  複合的宗教施設であったが今は 手前の聖母教会と下の聖使徒教会の二つが残る 凝灰岩でできる

230049        18/9/2014        アルメリア       

ゲハルト洞窟修道院

4Cにアザート渓谷に創建され13Cに四つの岩窟聖堂が築かれる ゲハルトとは「槍」の意味で キリストの脇腹を突いた槍の一部がここで発見されたと言われています  

230056        19/9/2014

 図書室として使われていた部屋で

女性コーラスを聴かせてもらう

 

230057        19/9/2014

  ムカルナス文様

キリスト教の建築なのに(セルジュク朝)イスラム様式

のムカルナス文様が天井に刻まれている

230058        19/9/2014


ガルニ神殿 この地がパルティア(アルケサセス朝 :セレウコス朝から自立したペルシャ系の王朝)の支配下の時代 BC3C アザート渓谷の高台に要塞が築かれたあと BC1C 太陽神ミトラを祀る神殿がミトリダテス王により建てられた 建築にはグレコ・ローマン期の影響が強く残る     アルメリア    19/9/2014

アララット山とホルビラップ修道院

ノアの箱舟伝説の山 大アララット(右) 5156m  小アララット 3914m  日本人にとっての富士山のようにアルメニア人にとって心のふるさと  230051        19/9/2014        エレヴァン      アルメリア

ホルビラップ修道院          6C創建 301年世界最初にキリスト教を国教とした国だが  布教をした聖グリゴルが13年間幽閉された地下牢あとの上に建てた修道院  ホルヴィラップは「深い穴」の意味 幽閉した王は病になり 姉の夢からの助言で聖グリゴルを解放して病気が治りキリスト教に改宗したという  実際はローマにたいする政治的配慮あったと思われる   19/9/2014 アルメリア

創建時の想像図

スヴァルトノツ古代遺跡  7C創建 聖グリゴル・ルサヴォリチ大聖堂   当初は高さ45mの円形三層構造の建物

10C地震により倒壊 聖グリゴルが解放され王と再会した場所とも言われ そのとき天使が「喜びを出した」ことがスヴァルトノツの由来となる       13/9/2014


リプシマ教会  7C創建 17C改修

典型的なアルメリアの初期の教会建築

キリスト教の布教をする美人のリプシマはローマ皇帝から求婚されるも拒否をし ローマを追放される 仲間40人とコーカサスへ旅立つ (その内の1人がグルジア・ムツヘタのジュワリ教会ゆかりの聖ニノです) リプシマはアルメニアでも王に求婚され 拒否をしてここで処刑された

20/9/2014 

 

 

 アルメリア正(使徒)教会は451年のカルケドン公会議で異端となったキリスト単性(単一の神性)の考えに立つ非カルケドン派  イエスの右手の親指と薬指でつくる輪はその人性と神性の解釈なのでしょうか

リプシマ教会祭壇下レリーフ   十字架の左は石榴で「旧約」 右は葡萄で「新約」のシンボルになる


エチミアジン大聖堂の祭壇

ゲガルト修道院で発見された聖遺物「ロンギヌスの槍」と言われている  他にも「ノアの箱舟の木片」もありましたが撮影不可で 放射線の炭素年代測定もやっていない 本物と信じるかどうかはあなた次第  

エチミアジンのエチは「降りる」 ミアジンは「唯一の神の子」の意味   

21/9/2014 エレバン   アルメリア



メートル法記念碑と聖霊大聖堂      

ミンスクは黒海とバルト海の中継地としての地勢を持ち リトアニア公国時代に自治都市と認められ 1449年にはマグデブル法(ドイツ型の中世都市法)の特権をもらい商工業の急速な発展をする   ヨーロッパのメートル法体系の基準を広めることでミンスク市は度量衡の制定と収税の権利を得た   後方は白亜のバロック様式の教会で17Cの建立 1482年にモンゴル(タタール)軍がキエフを襲い ドニエプル川に投げ捨てたイコンが  上流のこの地に流れ着き 以来奇跡をおこすと信じられている   ベラルーシのベラは白色の意味で西方・自由も象徴し  ルーシはロシアでなく本来ルーシ人の意味                                                                                                   20/9/2015     ミンスク   ベラルーシ

スヴィスラチ川と涙島  右端はソ連のアフガン出兵で亡くなったベラルーシ人の慰霊碑

聖シモン・聖エレーナ教会 1920年建設 カトリック教会 手前は浦上天主堂から贈られた鐘の記念碑


勝利広場  後方 ネザレーシナスツィ大通り 高さ41mのオベリスク  1944年独軍への勝利を顕彰

ミール城 MIR CASTLE  16Cにユーリ・イリイーニチより建て始められた5つの塔を持つゴシック様式の城で 後1579年にラジヴィル家の所領となる ルネッサンス様式を交えた改築が行われ外壁の一部は内側の宮殿に吸収される その後戦争のよる破壊と修復を繰り返すが1991年の独立後現在ベラルーシのシンボルとして紙幣にも描かれ 公開もされ修復も続いている

                                                                                                   20/9/2015      ミールスキザーマク     ベラルーシ      

ネスヴィジ城      ネスヴィジは1533年にリトアニア大公国の最高実力者ラジヴィル家の所領となる   1583年イタリアより建築家を招き建立  1939年ソビエトの侵攻によりラジヴィル家は追放される      20/9/2015     ニャースヴィシュ   ベラルーシ 

ブレスト中央駅 ベラルーシ鉄道  西はワルシャワ 東はモスクワを結ぶ  旧ソ連とヨーロッパでは車輪幅が違うためここで車輪を交換した 1870年建設の瀟洒な駅舎は宮殿みたいだ    21/9/2015 

ブレスト要塞入口   なんという重量感と威圧感でしょうか レンガの分厚い壁といい ソビエトのシンボルの星型を大胆に抜いた黒光りの石といい  遠くにみえる巨大なコンクリート塊の英雄像もこれに負けていない  これだけ離れていても迫力を感じる  まさに「ソヴィエト」アート   21/9/2015  

ブレスト要塞城壁(内側) 城壁内部は兵舎になっている 要塞のレンガには強度を増す鉱物が

混入されている 左欠落部にみえる 壁厚は1.5mでモルタルを少なくして積み上げている

1941年6月22日ドイツがバルバロッサ(ソヴィエト奇襲)作戦の一つとしてブレストを攻撃する ブレスト要塞は準備もなく兵士も少なく ドイツ軍は8時間で陥落させる計画であったが 要塞に残った数千の兵力で援軍もなく約1か月も死守し全滅する 当時軍楽隊の幼年兵であった少年が回想をするかたちの戦争映画がロシア・ベラルーシ

の共同で2010年につくられている 

この門の橋上の幾多のシーンは印象に残る  実際の撮影は約200m離れた所にセットをつくり実施されたそうです  21/9/2015 ベラルーシ

 (上) ホルムスク門  (下) ブレスト要塞地図



恋(愛)のトンネル

映画「クレヴァニ 愛のトンネル」で一躍有名になったところだ

緑のグラデーションがすばらしい 印象派の画家ならどう描いただろうか

森のトンネルは線路とともに延々と続く

野暮な説明はやめよう

                 21/9/2015       クレヴァニ村  ウクライナ


ウクライナ国立オペラ・バレエ劇場 キエフ   1901年再建 ルネッサンス様式  約1600人収容 入口上にウクライナの詩人にして画家  シェフチェンコの像

アイーダのポスターは次回の演目 22/9/2015

本日の演目「ドン・キ・ホーテ」のフィナーレ

出演 キトリ:ナターリア マツァーグ   バジル:デニス ネダーク    ストーリー性よりもどれだけバレーを楽しめるかということでしょうか  22/9/2015


キエフ とドニエプル川     キエフはルーシ(東スラヴ)諸都市の母といわれウクライナの首都 伝説ではキィ3兄弟と妹により5C後半につくられ「キィの町」という意味  9Cにはノブゴロドにより スカンジナビアとビザンチンを結ぶ大水路の支配をもとに「キエフ・ルーシ」の統一国家ができる   22/9/2015       

1654年のロシアとウクライナの「再統合」を記念した銅像とアーチ  今は ソ連時代の一番醜い銅像といわれている                            22/9/2015

ウクライナ独立記念碑

独立10周年を迎え2001年に完成

塔の上にはテマリカンボク(肝木の一種)の

枝をもった女神が

立っている

 

独立広場 南側

 

右に見えているのはロシア国境近くの紛争地

から持ち帰った 国籍表示のない 「ロシア製」移動式多連装ロケットランチァー    キエフのチャーミングなガイドさんはロシアの違法性を強く訴えています  22/9/2015


ペチェールスカ大修道院 ロシア正教ウクライナ支部総本山 左(北)「上の修道院」右 「下の修道院」

ビザンチン帝国のバシレイオス2世は妹アンナをキエフ大公の妃に嫁がす  このとき988年ウラジーミル公はギリシャ正教とギリシャ文字を受け入れる ビザンチン帝国が第一次ブルガリア帝国からの攻勢を受けた時にキエフ公国からの援軍を得て1014年のクレディオン峠の戦いで大勝する  キエフ・ルーシは11Cに最盛期を迎えるも13Cにはモンゴルの襲来でキエフの「母なる町」の役割は終焉  案内図のペチェールスカ大修道院はギリシャの修道僧が川岸の「ペチェーラ(洞窟)」で修行を営んだことに起因する

聖三位一体教会    この教会のみ12Cの姿を留める 他はウクライナ・バロック様式が殆ど  

 大鐘楼 18C 高さ96m


ウスペンスキー大聖堂  創建は11C 第二次大戦中に破壊され 2000年に再建    23/9/2015

「下の修道院」 手前は近い教会の鐘楼 右は十字架昇天教会と遠い教会の鐘楼 23/9/2015

キー3兄弟像の前で フィールド学習中の小学生を写真のために先生が全員を集合させてくれた

  黄金の門 内部     キエフの町の公式門        11Cに町の境界に土塁を盛りその上に城壁をつくり西側にレンガと石で大門を構築

キリスト教国を示すため門上に受胎告知教会をたてる 13Cモンゴル帝国により破壊される  

 聖ミハイル黄金ドーム教会 11C創建2000年再建

 黄金の門とヤロスアフ賢公像 

             23/9/2015  キエフ     ウクライナ


ソフィア大聖堂  ヤロスラフ賢公 1037年創建 現存ではキエフ最古

外観は17Cバロック様式                        23/9/2015

内部フレスコ画は11Cのもの

聖母マリアは「オラント」様式


アンドレイ坂                    23/9/2015 キエフ

右の教会の名はキエフで最初に説教をしここに十字架をたてた伝説の聖人アンドレイに因む

アンドレイ教会  ロシア皇帝エリーザベータのための教会  あの「冬の宮殿」と同じラストレッリの設計 外部はロシア・バロック内部はロココ調 18C      


デリ・バフィス広場           オデッサ

19C アールヌーボー建築のアーケード    オデッサ


この画家には文句を言われた 私は画中画のつもりだが やはり儲からないのだ  I'm sorry 

エカテリーナ2世の像 1794年この町の建設着手

リシリューはオデッサの都市計画に貢献

ポチョムキン階段    下にはオデッサ港が開ける

この町ではセーラー服は定番ファッションなのです


プリモールスキー並木通り またしてもセーラー服 !

おめでとうございます! 本日3組目 25/9/2015


愛の橋の横の公園  オデッサは恋の町だ

バロックやアールヌーボー様式が使われているが アトラスの彫像装飾も多い  オデッサ

レストランでバンドゥーラの演奏   67弦の楽器を弾き語るエカテリーナさん  オデッサ      25/9/2015



キシナウ大聖堂   1836年建立 ロシア正教会

24/9/2015   

聖堂の内部 四隅はエバンジェリストのヨハネ マタイ ルカ マルコの画 


 

 


大統領府前に「整然」と政府への抗議のためのテント村ができている        

        キシナウ    モルドバ    24/9/2015

プーシキン博物館 annex ロシア文学の父プーシキン

は政府批判小説を書き流刑にされた  約4年ここで暮らし「エフゲーニー・オネーギン」を完成


シュテファン大公(シュテファン3世)記念碑

  1457~1504年中世モルドバ公国建国の父   串刺公で有名なワラキア公国のブラド・ツェペシュ同様 反オスマン帝国闘争を展開した 1475年ヴァスルイの戦いに勝利しローマ教皇より「キリストの戦士」とたたえられるも  絶えず多数の外敵の脅威にさらされ続けた

キシナウ   モルドバ    24/9/2015

 

 Milestii Mici  ミレスチ・ミーチ ワイナリー  入口             英国王室御用達のワイナリー               24/9/2015     


 2006年世界最大のワインセラーとしてギネス登録

過っての石灰岩の石切り場を貯蔵庫として利用 全長200km中の55kmを使用 

歓迎の生演奏   ミレスチ・ミーチ ワイナリー

                                           モルドバ       24/9/2015


クリコヴァ ワイナリー    1952年創業  国営

クリコヴァ ワイナリー 配置図

試飲・食事室の一つ


クリコヴァ・ワイナリー           モルドヴァ      24/9/2015

ワインセラー内  スパークリングワインの説明を受ける


Orhei Vechi  旧オルヘイ   この周辺はかって海底であったところ が隆起して それをラウト川が浸食をし急峻な石灰岩の崖の地形をこしらえた 

案内板の地図に修道院に一番近い村「ブトゥチェニ」の地名がみえる                           

  キシナウ郊外  24/9/2015


  (左)聖マリア教会    (右)旧オルヘイ修道院の鐘楼

洞窟修道院内の採光は断崖側の窓だけ

いま正教の祭司がいるのはこの洞窟のみ

この洞窟が掘られたのは13C 


農作業の運搬はもっぱら馬車のようだ

村の郷土料理の余興  13~14歳の女の子の素朴なフォークソングとダンス



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